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情報処理教育と音楽

東京都立町田高校の Web Page にコンピュータ上で音楽制作を行う情報処理教育に関する記事がありました。今や学校でもパソコンで音楽を扱う授業があるんですね。個人的にはうらやましい限りです。

fujaata は高校生の頃、コンピュータを使った音楽制作にとても興味があってやってみたかったのですが、当時はシンセサイザはもちろんコンピュータはとても高価な機材だったので実際に触れることはありませんでした。同級生でシンセサイザを持っている人は何人かいましたけどね。あるいはパソコンを持っていてその上で音を鳴らしている人もいましたが、当時のパソコンの音は今から想像も出来ないような貧弱な音でした。

CPU 高速になって HDD も大容量になった今、パソコンの内部だけで録音やミキシング、ソフトウェアのシンセサイザを演奏したりすることが可能ですが、その当時コンピュータで音楽を扱うということは、コンピュータに入力した演奏データを外部のシンセサイザで演奏させるということを意味していました。このシンセサイザを外部のコンピュータや別のキーボードなどのコントローラで制御するための規格を MIDI (Musical Instruments Digital Interface)と呼んでいます。コンピュータとシンセサイザを MIDI 信号を流すためのケーブルで繋ぎ、そこにシンセサイザをコントロールする信号 (MIDI 信号) を流すのです。ここで流れる信号は音そのものではなくて、流れているのは「演奏情報」です。つまり「ドの音を 3 拍、次にファの音を 1 拍...」のような感じです。ですから繋ぐシンセサイザによって当然出てくる音は変わります。これは今でも一緒。

実際に触ることはありませんでしたが、関係する記事の載った雑誌や書籍はよく読んでいました。高校 3 年生の時によく読んだのが音楽之友社の「コンピュータ & MIDI」という本。3 分冊になっていて、後から要約と追補が掲載されたものが一冊追加されています。既に絶版になっていますが、このシリーズの part II が MIDI の規格や転送の仕組みについてわかりやすく書かれていて、当時何度も読み返していました (結局大学時代に買いました)。そういえばあのころは受験生だった記憶が...。(^^ゞ

先日も書きましたが当時はパソコンも各社様々な規格があって、その中でも Apple の Macintosh (今で言うところの Mac) がプロの間ではよく使われていました。現在は Windows パソコンであっても何ら不自由なく音楽制作に使えますが、当時 Macintosh が広く使われ広まったため、今でも音楽制作関係のでは Mac の愛用者が多いのが事実です。
他には ATARI や Commodore の Amiga というパソコンも有名だったようですが、Macintosh ほど広まっていなかったようです。ただ Amiga については時間精度が高いのが有名で、現在でも聴覚心理学の研究現場では実験装置として使われています。すでに Commodore 社は 1995 年に倒産して無くなっていますし、Amiga 自体もとっくの昔に生産終了しています。
一般のホビー・ユースでは MSX パソコンや PC-8801、X68000 といった機種も使われていましたが、業務用途ではあまり使われていなかったと思います。

いずれも汎用のパソコンに MIDI のインターフェースとソフトを組み込んで使われていたのですが CX-1 というソフトもインターフェースも最初から組み込まれているポータブルのパソコンもあり、一時話題になりました。このパソコンは AX という統一規格のパソコンをベースに作られていたのですが、高価だったし AX パソコン規格自体が主流になれず、結局あまり広まらなかったようです。しかし当時としては画期的な機械でこの機械の解説本が出ていたのですが、この解説本を立ち読みするために遠くの本屋に通ったこともあります。CX-1 自体も高価でしたが、解説本も高校生が買うには高価でした。

時は流れて社会人になって、実は一通りコンピュータを使った音楽制作 (現在は DTM: Desk Top Music と呼ぶのが一般的) ができるようなモノは一通り自宅に揃っています。が、ちっとも触っていないのが現実。本当はとてもやりたいんですけどね。

ハードもソフトも進化して、コンピュータでできる音楽関係の作業は非常に多くなりました。プロも含めてもはや大半の音楽制作はパソコンで行われていると言っても良いでしょう。シンセサイザでの演奏はもちろんですが、譜面の作成、編曲、録音、CD 原盤の作成までおよそコンピュータ一台でその気になればほとんどの作業が可能です。
ここら辺で個人的にもう一度 DTM に触れてみようと思っています。

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自宅 PC 環境

自分でパソコンを組み立てたり交換したりしていると、いつのまにやら一昔前のスペックのパソコンが組み立てられる程度の部品が集まったりします。目的によっては十分使えるので、人から見ればゴミでも実はお宝だったりもします。
そんなこんなで部屋にはパソコンが 6 台ほど転がっています。常にすべて使っているわけではありませんが。

ハードウェアの性能はどんどん上がっているので、最近の安いパソコンを買っても CPU の動作周波数が 2.8 GHz なんて書いてあってビックリします。が、実はここ数年パソコンで動くソフト、特に Windows などの OS やワープロのような文房具的なソフトは、ハードの性能向上ほど新たに大きな処理能力を必要とするような変化は無いのです。もちろん最新の 3D グラフィクスを多用したゲームや、動画編集にはより高速な CPU や GPU (Graphic Processing Unit) 大容量 RAM (メモリ) が必要になります。fujaata の場合ゲームはやらないし他にマシン・パワーを使うようなソフトも使わないので、最新のパソコンの恩恵はあまり受けないかもしれません。それでも基本的に何でも速く動くのはキビキビして気持ちいいし快適ですけどね。会社のパソコンが高速なだけに余計そう思います。

現在メインで使っているのは 3 年前に組み立てたパソコン。OS は Windows XP Professional で AMD の Athron XP 1600+ (実動作周波数 1.4 GHz) という CPU と 1GB のメモリを積んだパソコンです。既に組み立てた当時で CPU は 8,000 円/個という低価格品ですから、お世辞にも高性能な CPU とは言えません。
HDD は OS やアプリケーション・ソフト用の HDD とデータ用の HDD を物理的に別のドライブに分けています。しかもデータの HDD ドライブは HDD を 2 台パラで動作させ、見かけ上 1 台に扱い、倍 (までは行きませんが) の速さでデータを読み書き出来るようにしてあります。同じ量の文字を書き写すなら、一人でやるより二人でやった方が早く作業が終わりますよね、これをストライピングと言います。つまり合計 3 台の HDD がパソコンに入っていて、個々のドライブも購入時では最も高速な HDD を選んであります。こうすることで HDD からのデータの読み書きやソフトの起動を速くすることができます。
実は一般の人が日常行うパソコンの処理の大半は、CPU での演算ではなく HDD から RAM、そして CPU へ(またはその逆)のデータの読み書きです。CPU は RAM に読み込まれたデータを処理するときに最も性能を発揮できるので、いかに速く HDD から RAM にデータを渡せるか、そしていかに多くのデータを RAM に置けるかが重要です。HDD、RAM、CPU の順番でデータの処理速度が遅いので、HDD のデータ転送速度が全体の処理速度のボトルネックになることが多いのです。なので本当に CPU の処理能力を必要としているので無ければ、HDD に高速なものを使い RAM を大きくした方が快適に使えます。

メイン・マシンと同時にもう一台作りました。これは主に録音や音声編集に使うことを念頭に作ったものです。現実的に触っている暇が無くて、あまり活用していないのがもったいないのですが。OS は Windows XP Professional で CPU は Intel Celeron 1.4 GHz、RAM は 1 GB、HDD は同様に 3 台積んであり、こちらの方が録音目的のためにデータ用 HDD の容量は大きくなっています。こちらも CPU は購入当時 7,500 円/個程度のものなので、組み立てた時点で相当ロー・スペックだったことは間違いありません。録音用のパソコンというと高速なマシンが必要とされますが、単に 20 ~ 30 チャネル録音するだけで大規模なミキシングや高度なエフェクト処理をしなければ、この程度でも十分実用になります。

これらのパソコンを作る前に主役だったマシンとサブ機も現役で動いています。壊れたパソコンや不要になってもらったパーツをそのたびにチマチマ交換しているので、今でもそれなりに動作するパソコンです。
一台は FreeBSD 5.4 という BSD UNIX 系の OS が動いていて、CPU は Intel Pentium !!! の 1 GHz、RAM が 512 MB でこれまた HDD は 3 台構成にしてあります。これは主にファイル・サーバとして、複数のパソコンのデータを取りまとめる役割にしてあります。
もう一台も CPU、RAM はファイル・サーバと一緒。HDD は OS とデータ共用の一台だけ。こちらは各種 OS のインストールを試してみるマシンになっています。現在は SUN の Solaris 10 が入っています。ほとんど電源が入れられることはありません。

それから、ひょんなことから手に入った小型のデスクトップ・パソコンがあります。CPU は Intel の Pentium !!! 850 MHz で RAM は 512 MB。HDD は最初から一台しか入りません。OS は Debina GNU Linux 2.1 という Linux ベースのものがが入っています。これもあくまで OS のインストール実験用。こちらも使われることはほとんど無い状態。

で、実はもう一台 24 時間動いているパソコンがあります。これは学部 4 年生の時に買ったノート・パソコン (IBM ThinkPad 530CS) で、CPU は AMD の 5x86 133 MHz、36 MB の RAM、2 GB の HDD という、今となっては何ともトホホなスペックのパソコンです。これに FreeBSD 4.7 を入れ DNS (Domain Name Service) サーバとして動かしています。

少しは LAN (Local Area Network) の構築方法でも勉強しようと思い、fujaata の自宅ではちょっとした LAN が組んであります。もちろん直接サーバを Internet に接続するようなサービスが出来るわけでは無いのであくまでローカルなものですが、プライベート IP アドレスを使って仮想的なドメイン名まで持ったネットワークにしてあります。
この LAN の中で固定 IP アドレスとドメイン名を持たせてコンピュータを動作させるために、コンピュータの名前を管理するサーバ (DNS サーバ) が必要で、これをこのノート・パソコンにやらせています。ノート・パソコンを使った理由は消費電力が少なく、動作音が小さいので、自宅で 24 時間動かすのに向いていたからです。同時に外から持ち込んだパソコンに自動的に IP アドレスをつけられるように DHCP サーバとしても動作するように設定してあります。
これら自宅のパソコンは、どのパソコンからもルータを介して外部の Internet と接続できるようになっています。
最初はメール・サーバや Web サーバなどを立ち上げて、きちんとネットワークの勉強をしようと思っていたのですが、OS をインストールするだけでも非常に苦労するので、なかなか思うようなことは出来ません。せっかくなので、もう少し活用したいと思っているんですけどね。

本当のことを言えば独自ドメインを取得して自宅サーバを運用したいんですが、寮の制限された環境下では何も出来ません。近々寮を追い出されることになるのでそのときには何か考えたいんですが、自分でサーバを運用するというのはそれはそれで結構な手間です。ホスティング・サービスでも利用しようかと思うのですが、制約も多くやりたいことがやりにくいのが難点です。

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昔ばなし(パソコン編)

fujaata が初めてまともに PC に触ったのは大学入学後の 1992 年のこと。それまでも興味はあったのですが、当時パソコンは大変高価かつあまり生活の役に立たないものだったため、貧乏な fujaata の自宅には当然そんなものはありませんでした。触ったといえば近所の家にあったものをちょっと触らせてもらった程度。でも中学生のころから図書館にあった「朝日パソコン」は読んでいた記憶があります。

初めて買ったのは大学の友人のお古の NEC PC-9801 VX21 という機種。CPU (Center Processing Unit) は Intel の 80286 10MHz(!!) というもので 16 bit CPU でした。あ、周波数の単位は間違っていませんよ。GHz じゃなくて MHz。1,000MHz = 1GHz です。まだ一般には Windows なんてありません。

当時の日本はパソコンと言えば NEC 製の PC-9801 シリーズ(通称 PC98) とエプソン製の互換機を指し、他にはわずかに富士通の FM TOWNS や FM-R、SHARP の X68000 シリーズなどがあった程度。Apple の Macintosh なんてハイソな金持ちの道楽品でした。他にも数々の規格やメーカのパソコンがあって、ここに書くとキリが無いほどです。今のようにメーカが違っても Windows が動いていればソフトは全部共通なんてことは無く、メーカが違えばソフトも別物で互換性もありませんでした。使いたいソフトに合わせてパソコンを買う、もしくは欲しい機能を持ったソフトが自分のパソコンに対応していなければ、持っているパソコンで動くソフトで我慢するというのが当たり前の時代でした。

というわけで友人のお古の PC98 でパソコンの扱い方を覚えました。入った学科が通信系と情報系の合わさったような学科だったため、fujaata の周りは既にパソコンを使ってプログラミングをするような人も多く、そのスキル差は相当なものがありました。そういった仲間は大学に入る前からもっと以前の MSX パソコンや PC98 より前の PC-8801 シリーズ、PC-6801 シリーズを子供の頃から使っていたようです。彼らには手取り足取り随分と面倒を見てもらいました。m(_ _)m
...しかし、パソコンの取り扱いと環境設定は相当覚えたのですが、プログラミング言語は何一つ覚えることなく現在に至っています。当時パソコン上でプログラミングを行うためには、それなりの開発ツールを入手しなくてはならず、あまり縁が無かったということもあります。しかもパソコン上の開発ツールといえば C 言語ではなく BASIC 全盛の時代でもありました。もちろん、パソコン上のフリーの開発ツールなんて(あったかも知れませんが)見かけませんでしたし。C 言語のようなコンパイル言語を使った開発はパソコンではなく、大型計算機やワークステーションと呼ばれる高価な機材で行うのが普通でした。

当時どれくらいパソコンが高価だったかと言えば、ディスプレイ無しの本体のみで 40 万円前後が相場。確か増設メモリ 8MB を 4 万円で「安っ」と言って買い、HDD を 240MB (GB ではない) を 10 万円で「激安!!」って言って買った記憶があります。そうです、既に過去の遺物となっているフロッピー・ディスク (FD) がもっとも使われている記録メディア (しかも主流は大きな 5 inch) で、別に HDD が無くてもパソコンは動いたんです。ゲームなんかは何枚も FD を入れ替えながらやっていました。そうそう、モノクロのインクジェット・プリンタを 8 万円で買いましたね。インクジェット・プリンタが世の中に初めて登場した頃の話です。他にもパソコンの性能アップのための交換用互換 CPU というのも流行っていて、無理矢理 32 bit の CPU (4 万円) と浮動小数点演算プロセッサ(1.5 万円) を載せました。このパソコン、何だかんだ結局大学院進学後まで使いました。
途中、大学 4 年生の時に IBM のノート・パソコンを一台買いました。周辺機器合わせて 40 万円弱払ったでしょうか。まだ CD-ROM ドライブも高価で、モデムは付いていたけどネットワーク・カードも別売でした。メモリも改造して最大 32MB しか(当時としては大容量なんですが) 載せることが出来ませんでした。

今でこそインターネット全盛で、一般家庭でも常時インターネットに接続できない状態というのが珍しいくらいまで普及しましたが、fujaata がパソコンを使い始めた頃はモデムという機械をパソコンと電話の間に繋いで通信していました。速度も当初は 9,600 Kbps あたりが最高で、大学卒業の頃に最大 56 Kbps というモデムが出てきました。くどいようですが単位は間違っていませんよ。今や光ファイバで 100Mbps なんて言っていますが、1Mbps = 1024 Kbps です。当然画像を瞬時に送るなんて発想はありません。
こんな時代ですから電子メール(...いや、E-mail という方が最近は通りがいいですね)もほとんど普及していません。多くの人はパソコン通信という同じパソコン通信会社に契約している人同士でメールをやりとりすることくらいしか出来ませんでした。今や携帯電話ですら、他社の携帯電話や Internet とメールを送受信できるのが当たり前。
幸いなことに在籍した大学は早くから Internet との接続環境があり、当時の学生にしては珍しく E-mail アドレスを持っていました。工学系の学生でも少なかったと思います。なので E-mail と Internet を利用したサービスに触れるのは早かった。今では信じられない話だと思いますが、大学に入った頃は Web Page というものは無く、大学 3 年生の頃に初めてそういう仕組みを目にしました。あれから 10 年、調べ物をするならまずは Web Page からという時代になりました。特にコンピュータに詳しくなくても Blog などでどんどん個人が情報発信出来るようになっていますしね。

パソコンが一般に急激に普及したのは Microsoft の Windows 95 が出てからと言われていますが、その前にお膳立てがあって、従来のメーカ独自のパソコンから IBM が規格を定めた PC/AT 互換機が広く使われるようになったのが大きいと思っています。
日本ではどうしても日本語をパソコンで扱う必要があり、この日本語(正確に言うと日本語で使うひらがなやカタカナ、漢字といった 2 byte 文字)の処理というのは、当時としては非常に負荷のかかる処理だったのです。日本語の文字一文字を表現するためにアルファベット 2 文字分のハードウェアの能力が必要で、しかも文字数がやたらに多いからです。このため日本メーカの独自パソコンには日本語を処理するための専用ハードウェアが搭載されていました。
しかし CPU がだんだん速くなってきて、専用のハードウェアが無くても CPU で日本語を処理するのが苦にならなくなってきました。それで海外で多くのメーカが大量に生産している安い IBM PC/AT 互換機(厳密にイコールでは無いが DOS/V 機とも言う)があっという間に普及しました。PC/AT 互換機は部品の規格と動作の仕様が決まっているので、部品さえ買ってくれば誰でも組み立てることができました。これは今も変わらず受け継がれています。

大学院の頃、ネットワークやコンピュータに詳しい先生にお世話になり、DOS/V パソコンの組み立てを覚えました。大学院を修了する時には自分で部品を買ってきて、自分用の一台作りました。当時まだまだメーカ製のパソコンは 20 万円を超える値段でしたが、自分で組み立てれば本体の部品代 10 万円でパソコンを入手出来ました。これも「これ以上安くなることなんて無いよね~」と言いながら作った記憶があります。現在は条件によってはさらに安く作れます。完成品でも数万円というのもありますから。
話は逸れますが、パソコンを組み立てるのはプラモデルを作るより簡単。その気があれば誰でも組み立てることができます。ただ、以前は自分で組み立てた方が圧倒的に安くパソコンを手に入れられたのですが、今はメーカ製を買った方が安いこともあります。それでも自分が本当に必要とする性能で、例えば騒音の少なさにこだわったり出来るところに自分で組み立てるパソコンの価値があります。

以後、会社に入ってから何度も部品を交換し、あるいは新規に組み立てたりして現在に至っています。パソコンやネットワークの性能は劇的に向上しましたが、パソコンを使ってやっている作業自体は、社会人になってからあまり進歩していないような気が...。(^^ゞ
今や多くの人にとってパソコンは通信機器か、娯楽機器になっているといえるでしょう。パソコンの知識が無くても使うことが出来ますし、それだけ家電化してきてるともいえますね。

あぁ、後 10 年後、一体どうなっているのやら...。

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ミュージック・バトン

この Blog は SNS サイトの mixi の日記とリンクさせてあるので、mixi から見に来てくれている方もいます。また mixi の日記機能を使っていないので、mixi 関係の話を記事にしようと思うと、この Blog を使うことになります。なので mixi でのコメントをいきなりここに書くと mixi に関わっていない方には何のことかちんぷんかんぷんになります。
ということで本当はこの Blog と mixi の日記は分けるべきなのですが、fujaata に複数の場所を管理しろといわれても処理能力の限界を超えるので、現在の状況になっています。mixi からでも一般の Web アクセスからでも読んでわかるように書いていきたいと思いますので、一つ宜しくです。

で、タイトルのミュージック・バトンですが、mixi 内部で音楽関係の知人にコメントを書いて引き渡すというもので、Chain Mail みたいなものです。でも内容はもちろん悪意は無いし、こういうコミュニケーションもアリだと思いますので、ここで fujaata のことについて書いておこうと思います。バトンを fujaata に託したのは高校の吹奏楽部の先輩たろさんです。どもども、たろさんお久しぶりです。

それじゃ、ミュージック・バトン fujaata 版いってみましょうか。

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【1】あなたのやっている(やっていた)楽器と楽器暦は?

・幼稚園~
ヤマハ音楽教室の幼児科とジュニア科に通ってました。
当時は家にあったのは電気オルガンだったなぁ。

・小学 3 年生~高校 2 年生
ピアノの個人レッスンを受けてました。
不真面目な生徒だったので、結局上達することはありませんでした。
最後はベートーヴェンのソナタの一部くらいを弾いていたような気がするのですが、今となってはバイエルすら弾けません。(泣)

・中学 1 年生~現在 (途中数年の休止あり)
中学に入学し、吹奏楽部に入りトロンボーンを吹き始め現在に至ります。
両親はこれが fujaata の人生の大きなマチガイだったと今でも嘆いております。
高校卒業後の大学に入るまでの○年間と、大学卒業後福岡に移住し別の学校に通っていた○年間は事実上の休止状態でした。

・中学以降時々
指揮棒を振っていたりします。最初は中学校、高校自体の学校行事の合唱コンクール。吹奏楽で初めて本番の指揮をしたのは、高校時代の学区の合同バンドで東京文化会館の大ホールでした。(^^ゞ
大学の時に出身中学校の吹奏楽部の指揮と、ときどき所属していた小平青少年吹奏楽団の指揮をしてました。
現在も、これもときどきですが所属している浜松ポップス・ウィンド・オーケストラで指揮棒を振ることがあります。

【2】あなたがその楽器を始めたきっかけは?

【1】でコメントした通り。
音楽教室に通い始めたのは、両親が fujaata に習わせた方がよいということで始まったのだと記憶しているのですが、両親に言わせると fujaata が行きたいとのたまわったということになってます。惰性とはいえ、そのままピアノの個人レッスンまで行ったのは、嫌いではなかったからだろうと思います。
向上心が無かったので上達はしなかったのですが、皮肉にも後になって別な場面で習ったことが役に立っています。なので無駄ではなかったかな。

トロンボーンは中学の顧問の先生に「おまえはこれをやれ」と言われたから。(^^ゞ

指揮棒は...やってみたかったり、成り行きだったり、きっかけは様々...。

【3】最も影響を受けたミュージシャンは誰ですか?

ミュージシャンですか。う~ん。
割といろんな音楽を意識せずに聴いてきたので、この人にシビレてって言うのは無いんですよね。

直接影響を受けたのは音楽教室でお世話になった先生方と、中学、高校の顧問の先生。中学の時は fujaata もまだまだ元気が良かったので顧問の先生は苦労されたかと。でも、あのとき生徒を対等に扱ってくれたからこそ、今の fujaata があるのだろうと思います。この先生「生徒が今どれだけ伸びるかじゃなくて、卒業した後も長く続けて、成長してくれることを願っている」とよく言っておられました。
fujaata にこのバトンを渡したたろさんも書いていますが、高校の時の顧問で音楽の先生だった故高橋先生は直接的に細かく指導をするタイプではないのですが、いろんな面で見守って頂いたと思っています。音楽の授業で扱った題材も、後になってそのレベルの高さを思い知りました。高校の部活のメンバーや OB の皆さんにも随分お世話になりました。
それから大学時代に所属した市民バンド(小平青少年吹奏楽団)の緒形先生やメンバーからもいろんな事を教わりました。ここでの経験も結構大きな影響を受けています。
現在所属している Blue Notes Orchestra のメンバーからも、Jazz の初歩的なところから面倒を見ていただいています。高校の部活仲間は何故か卒業すると Jazz に走る者が非常に多いのですが、fujaata は Jazz へは絶対行かないだろうと社会人になるまで思ってました。いや、嫌いなわけではないんですが、演奏するには自分には向かないだろうと思っていました。なのに何故か Big Band で活動することに...。

【4】楽器を演奏していて良かったなぁと思った時は?

やはり本番が上手く行ったときでしょう。
毎度練習はしんどいのですが、よい本番が出来たときは頑張って良かったなと思います。

【5】生まれ変わったとしたらどんな楽器をやってみたい?

打楽器かな。

【6】最後にこのバトンを回す人を指定してください。

ではマイミク (mixi 仲間) で、高校の後輩のカオリータさんに渡しましょう。
よろしかったら書いてみてくださいな。>カオリータ様。


(しかし最近この「○○バトン」ってやたらに流行ってますね。テーマによっては多少鬱陶しいのがあるのも事実。人それぞれ楽しめる範囲でバトンを回すのがいいですね。)

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BLUE NOTES Orchestra 30th Recital

先週の土曜日 11/12 は所属する Big Band である BLUE NOTES Orchestra の 30 周年 30 回目のリサイタルでした。今年はゲストに向井滋春(Trb)さん、鈴木重子(Vo)さん、徳永英彰(Gt)さんの 3 名の豪華ゲストをお呼びして、しかもアクトシティ大ホールという浜松近辺では最大規模の会場でのコンサートとなりました。お陰様で 1,300 名近いお客さんにお越し頂き、大盛況のうちに終えることができました。

いやしかし、演奏した我々もいつにも増して満足度の高い本番となりました。ゲストのプレイの素晴らしさは当然といってしまえばそれまでなのですが、それにしても素晴らしい。fujaata は Trombone 吹きなので特に向井さんのプレイは感激モノ。実は 4 年前にも向井さんとは競演しているのですが、あのときとはまた違ったスタイルのプレイを見せてくれました。
向井さんの演奏は学生時代に耳にしているのですが、当時の向井さんのプレイはワザとベルをマイクにかぶせてアタックをつけるようなどちらかというと刺激的な音だったのですが、今回はとにかくなめらかでマイルド。え、向井さんってこんなにソフトな雰囲気なのって一瞬ビックリしました。しかし相変わらずダイナミック・レンジの広さとフレーズの面白さは健在。以前のスタイルが好きか、現在のスタイルが好きかは人それぞれだと思いますが、今回のスタイルはそれはそれでいいなぁと思いました。
ということで本当に充実した本番になりました。

以前も書きましたが浜松は半端じゃないレベルのアマチュア・ミュージシャンがゴロゴロしている街で、Blue Notes というバンドはその中でもかなり「イッてしまった」人達の集まりだと言われています。事実その通りで、リーダーが街中から腕利きメンバーを集めて構成しているのです。当然目標とするレベルもリーダー曰く「アマチュアとかプロだとかという次元ではなく、音楽として評価されるレベル」に据えているので、所属している自分が言うのもナンですが相当なレベルにあると言って良いでしょう。実際プロのプレイヤや評論家の皆様からも高い評価を頂いています。

メンバーはほぼ全員がフル・タイムの(かつ当然のように残業のある)定職を持っており、その大半が楽器メーカの技術者、つまり理工学系の人が多くいます。もちろん楽器系とは関係ない分野や営業マンや現場系の職業の者もいます。立場も一般社員から管理職までいるわけで、世間一般のサラリーマンと何ら変わらない人達の集まりです。あとは学生さんも 1 名いますが、彼も工学部なので経験上そんなにヒマな学生とは思えません。さらに一緒にやっていてオカシイのはその大半のメンバーが複数のバンドを掛け持ちしていること。夜な夜なライブハウスで演奏している者もいれば、別ジャンルの音楽や活動をしているメンバーもいます。どう考えても After 5 が本業としか思えないのですが、本業でも実績のある人が多いのがまた謎というか何というか。

とにかく学生時代から一歩飛び抜けた技量を持った人の集団なので、初心者が一緒になって演奏を楽しめるレベルとはかけ離れています。が、fujaata はこのバンドに入るまで本格的な Jazz の演奏経験は皆無。当然満足に演奏に貢献することなんて出来るわけがありません。
端から見れば同じ Trombone なんだから吹奏楽も Jazz も一緒でしょ~、って言いたくなる気持ちはわかります。が、現実はまるで別物。根本的に考えたかを変えないとまともな演奏は出来ません。加えて Jazz をやるということは本来アドリブを演奏することが求められるので、単に譜面通り演奏できるだけでは Jazz が出来るって言わないんです。
Trombone の場合使う楽器も実は別物。管の太さとベルの大きさが若干違うだけで基本的には同じなのですが、吹いた感じは別次元。普段オーケストラ用の楽器を使っていた身にはコントロールがめちゃくちゃ難しい代物です。

譜面もきれいに浄書された譜面に見慣れた目には、幾何学模様にしか見えません。どうも Jazz の譜面はその場でパパーっと書き上げて、その場で演奏して「はい、おしまい」的な物が多くてほとんど殴り書きです。浄書されている譜面でも、Jazz の音使いは独特ですからこれまでの常識でフレーズをパッと見で理解することができません。
とにかくこんな状態でよく今まで置いてくれたもんだと思います。

正直「ご迷惑」だし、実は Trombone の人数も余っているのでリタイアも毎度考えるのですが、頑張りなよと言ってくれるメンバーのおかげで本日まで続いています。最近やっと少し面白さがわかってきたような気がします。時間はまだまだ必要ですが、戦力になれるように頑張りたいと思います。メンバーの皆さん、これからもよろしくです。

BlueNotes_CD
ところで Blue Notes Orchestra では結成 30 執念、いや周年を記念して CD アルバムをリリース致しました。Trumpet の原朋直さんをフィーチュアしての一枚です。他にも Guiter の徳永英彰さんにも加わっていただき、がっちりと仕上げました。もちろん Blue Notes の「イっちゃった」メンバーの華麗な演奏もお楽しみいただけます。
先日のリサイタル直前に完成、会場で先行発売致しました。是非、皆さんに聴いていただきたいと思います。

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富士見パノラマ Downhill

だいぶ更新が滞っています。昨年もそうだったのですが、どうもこの 10 月から後というのは忙しい傾向にあるようで、放っておくとまた来年の夏くらいまで休眠状態になりそうな感じです。更新しないと各所から「止まっているねぇ」とツッコミが入るのは、見ていただいている証拠でありがたいことです。更新する意志はあるのですが、なかなか書いている時間がとれず放置状態が続いております。m(_ _)m
こうなる原因は割とはっきりしていて、仕事も秋は業界イベントが目白押しで出張続きになりますし(部署が変わったので今年は若干緩和されました)、プライベートでもこの時期は秋の演奏会シーズンで本番やらそのための練習が忙しくなるのです。終わってもその間出来なかったことの処理に追われそのまま年賀状の準備で年末を迎え、年明けは年度末の追い込みとなるわけです。しかも就職以来会社の寮に住み続けていたのですが、いよいよ今年度末に退寮期限を迎え、そろそろ住処を探さないといけない状態。いつにも増して大変な年度末になりそうです。

さてと、10 月末の話になりますが、DAI ちゃんと O 氏の重度進行性自転車病患者 2 人とともに富士見パノラマスキー場の Downhill コースへ出かけてきました。今年は 9 月、10 月と週末は狙ったかのように雨が降りましたが、この日も前日から天気予報はあまりよろしくない状況でした。しかし DAI ちゃんも O 氏も病気というよりキチガイなので、行く気萎え萎えの fujaata を気にすることなく決行。いや、フツーの人ならあの予報状況だったら諦めますね、フツーなら。まぁ、○○につける薬は無いって言いますしねぇ...。

ということで行って参りました富士見パノラマ。前日、路面コンディションが悪くなるのを覚悟した fujaata は前日の夜、急遽フロントのタイヤを新調しました。MAXXIS の MOBSTER でタイヤ幅 2.35 inch のシングル・プライという薄くて軽量なもの。これは DAI ちゃんのオススメです。今まで使っていたタイヤが Dounhill に使うにはグリップがイマイチだったのはわかっていたので前から交換しようと思っていたのですが、予想されるコンディションに一気に後押しされた感じです。後輪も交換しようと思ったのですが、基本的に下りならフロントの方が影響が大きいし、後輪につけるタイヤの検討をしていなかったので今回はそのまま。

当日は 3:30 a.m. 集合で O 氏の車で出発。寝不足が蓄積していた fujaata は既に行きの車内で撃沈していましたが、それでも目的地近くになると雨どころか晴れ間が出てきて「こりゃ、絶好の Downhill 日和だわ」と大いに盛り上がりました。その勢いで現地に着いてリフトの一日券を買ったところで天気が急変、雨に。
それでも最初はパラパラで時々日も差す状況だったので、まずは試しに一本目に行ってきました。この時期に行くのは初めてだったのですが、さすがシーズンも終盤で路面は洗濯板状態のガタガタ道、おまけに落ち葉で路面が見えないので石や木の根っこもわからず、ぬかっているところも見えず、最初から危険な香りが充満してます。しかも 1 年半振りのコースとあって感覚も忘れちゃっているので思うように走れません。といっても一本目ですから準備運動みたいなもの。お楽しみはこれからよ、ってところで悲劇は起きたのです。

二本目を下り始め、感覚も戻ってきて新しいタイヤの効果もあって「調子出てきたかな」ってところでなんとパンク。下りはじめて 1 km ちょっとくらいのところでした。こうなるともう麓まで自転車を抱えて歩くしかありません。コースはシングル・トラックなので歩くことはできませんから、ゲレンデに接しているところまで自転車を押して走りました。コースはうねっていますがゲレンデは真っ直ぐですから最短距離で麓まで戻れます。しかし山頂からわずかに 1 km ちょっと。ゲレンデで言えば数百 m 下ったに過ぎません。ここから麓まで数 km パンクした自転車を抱えて降りることになりました。
最初は「ま、いいかぁ」って降り始めたのですが、ゲレンデって意外と急斜面なんですね。普通に歩くだけでも相当しんどいのに、自転車を引きながらなので余計しんどい。しかも雨が降ってきて芝がぬれていて滑るんです。一度コケたら最後、行き着くところまで転がるのは目に見えています。正直「恐い」というのが本音。とにかく慎重に下り 1 時間近くかけて麓まで降りました。降りたところでもう足はガタガタ。確かに Downhill には変わりないんですが、まさか歩くことになろうとは。

Fujimi_DH_1さらに追い打ちをかけるように雨が本格的に降ってきて、仕方ないのでパンク修理がてら早めの昼ご飯にしました。しかし、どうも山へ行くとパンクに泣かされます。雨はもう本降りでどうしようも無い状態。それでもしぶとくねばる DAI ちゃんに根負けしたのか、小一時間ほどで弱くなり、路面はとんでもないことになっているのは承知で再度挑戦することにしました。この状況だったらフツーなら帰りますよ、フツーなら。

思った通り 3 本目は相当な悪路になっていました。途中滑ってコケたのも仕方がないってところでしょう。既にゲレンデを歩いたおかげで足はガタガタなのにもかかわらず、もうしっかり踏ん張るしかありません。でも不思議とそれなりに走れて楽しめました。それよりもの凄い泥はね。よく MTB のカタログや自転車雑誌で、泥人形が自転車で走っているような写真がありますが、まさにあんな感じです。自転車競技ってよっぽどのことが無い限り雨で中止になったりしませんからね。人も自転車も元の色がわからないくらいの泥まみれです。

雨はますます激しくなっていたのですが、こうなると水たまりで泥遊びに興じる幼児と一緒です。懲りもせず 4 本目にトライ。ますます路面はおかしな状態に。スピードこそ出せませんがこれはこれで楽しめます。自然相手ですから同じコースでも同じ条件ということは無いわけで、それがおもしろいところでもあります。
しかし降りしきる雨で気温が下がり、体力と言うより寒さで限界。退散することになりました。

Fujimi_DH_2帰ることにしたのは良いのですが後始末が大変でした。自転車本体はもちろん、着ていた服の泥をある程度落とすのが大変。しかも雨が降っていたのでぬれながらの作業になるので、考えてやらないとずぶ濡れで風邪をひきます。寒さのなか 2 時間以上かかって撤収作業を終え、近場の温泉につかって帰りました。ほんとあの温泉に入らなかったら間違いなく風邪ひいてました。

Fujimi_DH_3Fujimi_DH_4Fujimi_DH_5Fujimi_DH_6ところで凄い泥はねではあったのですが、fujaata の自転車にはフロントに小さな泥よけが付けてありました。これが想像以上に効果的で、少なくとも走っているときに顔に泥がかかって大変、ということにはなりませんでした。DAI ちゃんと O 氏はえらいことになっていましたが。
Fujimi_DH_7それから雨と泥が想像以上に自転車の塗装を削っていました。下るときは足の位置を固定して、しっかり自転車を挟むような姿勢で降りるのですが、そのとき靴がフレームに当たっています。その部分の塗装ががきれいに剥げていました。普通に使っていてもいつかは剥げるのですが、一発でここまで剥げるとは思いませんでした。戻ってからきちんと掃除をしたのですが、はねた泥と石でフレーム全体がキズだらけ。洗っても泥の色が落ちないところもありました。もっともそういう目的に使う自転車なのでいいんですけどね。

来年はもう少し条件の良いときに行きたいものです。

なお、ゲレンデを歩いて下った後遺症(筋肉痛)にその後 3 日間泣かされたのでした。

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