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サンプラ

天ぷらでも中野サンプラザでもありません。Sampler (サンプラ、サンプラー) です。好きな音をいくつも取り込んで、電子楽器からの制御によって自由なタイミングで音を出す装置のことです。
数ヶ月前になるのですが YAMAHA の A4000 という機種の中古品を入手しました。1999 年発売の製品で既に生産完了品です。
こんなもの何で入手したかと言えば、fujaata は吹奏楽をやっているので、例えばアニメの曲なんぞをやるときに、キャラクターの声が出たら面白いかな、とか打楽器代わりにアリもしない音を出したら面白いかなと思うわけです。

サンプラと言えば AKAI の製品が、このジャンルのデファクト・スタンダードと言って良いと思います。YAMAHA のサンプラはどちらかと言えばマイナーなモノですが、今回は音さえ出れば良いので何でも良かったのです。AKAI 用に作られた音源データも再生できるしね。

内部構造はパソコンそのもの。フロッピー・ディスク・ドライブ (FDD) や CD-ROM、あるいは外付け/内蔵の HDD に音のファイルを入れておいて、それをメモリに読み込んで、再生しろって命令が来たら音を出すだけ。言ってしまえば音を出す専用のパソコンってところです。なので、最近は専用のサンプラはあまり見かけず、もっぱらパソコンにサンプラのソフトを入れてパソコンをサンプラとして使うことの方が主流です。
最近はパソコンも安定性が高くなりあまり問題になりませんが、突然フリーズしたり音が出なくなったりというトラブルがあるので、単体ハードウェアの専用機にもまだ分があります。それからこれもだいぶ良くなりましたが、パソコンのソフト・サンプラは音が出るタイミングが若干遅れるという欠点もあります。自宅で音楽制作するならあまり気にすることはありませんが、生演奏に合わせて音を出そうとすると反応の遅れが気になることがあります。

A4000 も基本的のはパソコンそのもので、ユーザが中をあけてメモリ (RAM) や HDD を増設することが出来ます。というか、増設しないと購入したままの状態では何も出来ないと言って良いでしょう。
ところがこの A4000、1999 年発売という割には設計が古く、例えばメモリは SIMM という規格のものしか使えなかったり、HDD は 1 パーティション 1GB までの大きさで 8 パーティション、つまり最大 8GB までしか認識しなかったりという仕様です。HDD はそれ以上の大きさのものも使えますが、どんなに大きくても 8GB 分しか使うことができません。1999 年当時でも、これらの仕様の部品はもう主流では無くなっていたと思います。確かに楽器として使う分には充分ですが、今となっては増設用のメモリも,、丁度良い大きさの HDD も入手困難です。幸い手元にそれらの部品の余りがあるので良い状態で活用できそうですが、もう少し先を見据えた設計にならなかったのかと思うと残念な感じがします。

最近のサンプラは本体に音を出す命令を送るボタンがあるものがあって、あらかじめボタンに音を割り当てておいて、演奏の合わせて音を出すことができますが、A4000 は完全な音源モジュールなので、音を出すためにはさらに MIDI キーボードや、電子ドラムのパッドが必要です。これも手元のキーボードを使うことにしています。

サンプラは音楽用に作られたものですが、個人的に重宝しそうと思われるのは演劇や芝居の効果音を出す場面だと思います。MD や CD では該当する音を出すために、あらかじめ頭出しをして、タイミング良く再生ボタンを押すことになりますので、音を準備するのが大変なのと、複数の音を早いタイミングでいろいろ出すのが難しくなります。
サンプラなら音をキーボードの鍵盤に一つずつ割り当てておくことで、手早く自由に様々な音を出すことが出来ます。A4000 程度のサンプラなら中古で 3 万円前後で手に入りますから、演劇の音効さんが複数台用意することも可能でしょう。

ところで入手した A4000 ですが、未だ増設作業の最中で実際に利用できずにいます。近々実際に使ってみたいなと思っています。

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眼球振盪その 4

それじゃいいことは無いの、って話ですが、そりゃ障害は無いに越したことはありませんから良いことなんて無いのですが、お陰で他人とは違うことを感じているのは事実です。

まず目に障害がある人全般に言えるかと思いますが、多分耳は普通の人より感度が良いのではないかと思っています。物理的な聴力の性能もそうですが、例えば譜面は目で追いながらというのが苦手なので、音で覚えてしまう傾向があります。このため音の違いや感じ方は普通の人より敏感なはずです。集中していなければダメなのは一般の人と一緒ですが。
何か障害があると、他の機能で補おうとするのは人間の潜在能力の凄いところだと思います。例えば大学院時代の話、研究室は先生以下ソフトボールを熱心にやっていましたが、当然ボールを正確に捉えることができないので、じゃまにこそなれ役には立ちませんでした。が、まったく進歩が無いかと言えばそんなことは無くて、それなりにボールを打ったり捉えたりすることが出来るようになってきます。恐らく数をこなしていると、経験から頭の中で弾道計算を行い、最大公約数的なところを予測するようです。他にもいつもの練習場であれば足を動かした感覚で距離をつかんでいる可能性もあります。周囲の風景も演算情報として取り込んでいると思われます。予定外の状況への対応は困難ですけどね。

他に良かったというより、そうせざるを得なかったという点ではありますが、「タダの人」にならなかったということ。他人よりちょっと余計にいろんな事ができたり、つまらんことに詳しかったりするのは、潜在的に他人と一緒では生き残れないという意識があったからだろうと思います。

それからこれも否応無しという感じではありますが、割と相手がどんな人間か見抜くのが早いというのもあります。こっちが曰く付きなだけに、相手の反応には敏感ですから当然と言えば当然ですが。
そうそう、女性でいきなり「気持ち悪い」的な反応をする人は、大抵自分の容貌に大いなる自信を持っているか、自意識過剰だったりするようです。彼女らの自信とは裏腹に、概して周囲の評判は良くなかったりすることが多いです。そういうのって、やっぱり出ちゃうんでしょうかね。お陰様でそういう点では自動選別出来ちゃうのは楽ですけどね。男性も同じくで「気持ち悪い奴、近寄るな」みたいなのは年中ですが、本人が思っているほど周りから人気が無かったり...という場合も多いですね。
皮肉にも眼振がフィルタになっているのか、友人は人間的に優れた人が多いのはありがたいところ。能力的にも一線を超えた何かを持っている人が多く、こっちが黙っていてもその分野に関して、ある程度のレベルまで話ができるようにしてくれます。単なるオタクでは無く、素人の手取り足取り面倒を見てくれる余裕をもった人が揃っているのは、ちょっと自慢かも知れません。どこまで眼振との因果関係があるのかは不明ですが。

おっと、おまけ。眼振というのは目が絶えず振動しているものですが、ということは意識せずとも常にきょろきょろ周りを見渡していることになり、擬似的に視界が広がっている可能性があります。このため周囲の動きに敏感で、周囲の人の動きを察知するのが早かったり、他人と違うところに気が付いたりします。もちろん正確に識別はできませんけどね。

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眼球振盪その 3

一ヶ月以上も更新をしていなかったのは、単に忙しかったからに他なりません。夏休み明けから勤務地が変更になって、通勤が大変になったこともありますが、何より突発的な仕事に追いまくられています。明日はどうなるかわからないなんて言ったら大げさですが、突然想像外の状況になったりします。勤務地の変更については別途どこかで触れたいですね。凄いところですよ、いろんな意味で。

で、眼振なんですが、今回は実際に不自由な話ではなく、自分が眼振であることを強く意識して精神的に凹む場面について書きたいと思います。普段は自分が眼振であることはほとんど忘れてしまっているのはこれまでに書いた通りですが、生活の場面で突然そのことを思い出しがっかりすることがあるのです。

例えばデパートやショッピング・モールなどの鏡張りの壁面、特にエスカレータの両壁がそうであることが多いのですが、そこに映った自分の姿を見たとき。いや、気持ち悪いんですよ。ぽかんと顔が上を向き背中丸めた姿が。自分のことながら本当にイヤになります。明らかにおかしい人。海外出張の際、一緒に行った会社の人から「おまえと一緒に歩くと(変なので)目立つから(狙われるので)一緒に歩くな」と言われたこともあります。気分悪いけど無理もないかな...と。
背中が丸くなるのは、後ろに傾いた頭を支えるために自然にそうなっているようです。よく見ると丁度後頭部の重心の位置が見事に腰の真上にあります。これはこれで上手くできてるなぁと思います。何か一つ不具合があると、ついその部分だけの影響を考えてしまいますが、いろんな所に影響が出るという例でしょう。
仕事柄、年に数回展示会なるものに出かけますが、説明員さんに説明を求めると、最初(視線が合わないので)質問されていると思ってもらえなかったり、コンパニオンのお姉ちゃんから明らかに気味悪がられちゃったりします。最近は自分が気にしていれば、わざと傍目からは正常に見える位置に顔の位置を修正してから接触しますが、実はこのとき僕は相手の顔ではなく、相手のへそのあたりを見て喋るという何とも失礼な状況なわけです。

日常に置いてもアイ・コンタクトというのは非常に重要なコミュニケーションの手段なわけですが、これが出来ない。「何処見てんだよ」って、あなたを見てるんだけど、言ってもしょうがないことだったりします。決してバカにしているわけじゃないんですけどね。そんなことより困るのが指揮棒を振っているとき。吹奏楽団で指揮を振ることがあるのですが、指揮者がアイ・コンタクトできないというのは実は致命傷です。指揮者は手で合図するだけでなく、半分は目で合図を送ります。幸い、メンバーが慣れてくれるのか、一定期間以上振っていると何となくクセをわかってくれるようで、ちゃんと指揮を見てくれる人とはコンタクト出来るようになります。これは合わせてくれるメンバーに感謝。

変な誤解もされたりします。例えば立ち話をしているときに自分の足下を眺めていると、正面にいるお姉ちゃんに自分の服の中を覗いていると勘違いされたりなんてのは、学生時代まで結構多い誤解だったりします。もう、面倒くさいので言わせておくしかありません。さすがに最近は年齢も上がってきて相手も会話やこっちの性格何ぞからそうでないという判断になるらしく、そんな誤解も無くなったように思われますが、単に耳にしなくなっただけかな。

とまぁ、言い出したらキリがないわけで、凹みながらも運命と思って諦めるしかないわけですけどね。

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