活動予定 (2008 年 4 月 20 号)

fujaata の演奏活動予定のお知らせです。

2008 年 4 月 23 日 (水) 21:00 ~
Blusette Orchestra Live@銀座ライオン浜松店

所属する社会人 Big Band の Blusette Orchestra に Trb で出演します。
21:00 頃から本番の予定です。
お店の通常営業中での演奏です。入場料等はありませんので、お好きなお飲み物、食べ物などを召し上がりながらお楽しみ下さいませ。

<演奏予定曲目>
In A Mellow Tone
Some Skunk Funk
Moanin'
Giant Steps
NY State Of Mind
等。
毎度の如くのお約束で、演奏曲目は当日変更される可能性があります。(^^ゞ

是非ぜひ、皆様でご来場下さいませ!!


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以下、後日再度詳細をお知らせする予定です。
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2008 年 5 月 10 日 (土) 16:00 ~ (雨天中止)
浜松ポップス・ウィンド・オーケストラ@キタラ (浜松駅北口広場)

浜松駅前恒例のプロムナード・コンサートに出演です。
5/25 に予定されている 6th コンサートの前哨戦!
...でも、この日演奏する曲目の半分は 5/25 と異なります。
Trb の演奏はもちろん、人生以外にも棒を振っている fujaata を見ることができます。
野外コンサートですのでお買い物、デートのついでに是非お立ち寄り下さい。

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2008 年 5 月 23 日 (日) 14:00 ~
浜松ポップス・ウィンド・オーケストラ 6th Concert@はまホール

毎年恒例の浜松ポップス・ウィンド・オーケストラの自主演奏会。
今年は久し振りにこの本番でも fujaata は棒を振ります。しかも 5/10 とは別の曲で。
ここでも振られっぱなしではない姿をお見せできるかと思います。あ、でもお約束の空振りはあるかもしれませんが...。
入場料は前売り、当日とも 500 円。...本気で「行く」と言って下さる方、fujaata までご一報下さい。

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だいすき!!

もうとっくに終わってしまいましたが、表題のドラマを観ていました。軽度の知的障害者の母が子育てをする話です。原作は愛本みずほ作の同名漫画。詳しくは番組サイトか Web 検索でもしてもらうのが良いかと思います。
題材が題材だけにデリケートな問題も多く、さぞ映像化は難しかっただろうと思います。こういうテーマを取り上げると「こんなの一例に過ぎない」だの「現実はこんなに甘くない」だのといった意見は必ず出るはずで、制作側もリスクが高い題材を取り上げたものです。原作を含めあくまでフィクションですから 100% 現実世界と同じでは無いのは当然だと思いますが、個人的には極端な嘘っぽさを感じることはありませんでした。そもそも取り上げる障害の状態だとか程度だとか環境だとかシチュエーションといったことは、この物語の本質では無いような気がします。

重い題材のようなイメージがあるものの、実際の中身は主人公 (=柚子) が持てる能力の中で前向きに生きる姿が描かれているのが好印象でした。可哀相な人といった描き方では無く、一人の幸せを追求する人という描き方です。決してお涙頂戴的な表現ではありません。一方で柚子に対する周囲の反応や対応の描き方は残酷な面も描かれており、個人的にはあまり観たくないシーンもあったことは事実。比較の対象にすること自体無理がありますが、生まれつき若干の機能不具合を持つ fujaata も程度の差はあれ同じような場面に遭遇してきた (多分これからもする) 経験があるからです。外見からわかる不具合は攻撃の対象になりやすく、本人にはどうしようもない状況に追い込まれることもあります。また、不具合が無ければ簡単にできることでも自分にはできないこともあり、ドラマの中でも再三表現されていましたが、出来ないことを認めることから物事が始まるという現実があります。

fujaata の場合は単なる機能不具合ですから何ら生活に困ることもありませんし、無い物ねだりをしなければ健常者として普通に生きていくことができるのですが、それでも一例を挙げれば初対面の人との接触はどうにもイメージが悪くなるのは否めません。よくゼロからのスタートと言いますが、この点については fujaata の場合マイナスからのスタートです。普通の人が相手に対してどう「好印象」に持って行くかを考えるのに対し、どう「ゼロ」に持って行くかを考えることから始まります。出来ないことを認めることの一つですね。それゆえ脳天気に見えるかも知れない fujaata も、それなりに初対面の人との接触は若干余計な緊張が走ります。そんな風には見えないように振る舞ってはいますが。最近でこそ「全く気にならない」と言ってくれる方は増えてきましたが、それでも自分の姿が自覚できるだけに自分の中である線を引いてしまうのは避けようがありません。
一方でそれでも健常者として生きていることに違いはなく、というかそれが自分にとって自然な感覚だし、そうである以上あらゆる場面で健常者として対等に振る舞うことを当然と考えている自分がいます。不具合を持った当事者としての自分では無く、不具合を持った人の家族のような立場でしょうか。あ、別に fujaata はそのことで特に思い悩んでいることは無くて、日々それなりに楽しく生きてますよ。えげつない仕事もこなしながら。

ドラマの中でも柚子が同様に自分の障害による壁に直面する場面の心情が描かれています。それと同時に家族やサポートをする周囲の人達の心情も描かれています。この家族やサポーターの心情もまた fujaata の中に同居する気持ちと同じものがあります。いや、柚子やその家族と自分の心情を一緒にするのはあまりにも違いすぎることは百も承知なのですが、どうにも共感してしまい泣けてしょうがないんですよね。大残業大会で深夜に帰るクセに毎週観ずにいられず、録画した Video を観つつ号泣しながら寝るのが放送期間中習慣になってしまいました。ついでに録画した Video を編集しつつ号泣、編集した Video を DVD に焼きながら号泣...こうやって書くと変な人だな。

その中でも印象に残った場面は、第 7 話で夏梅 (柚子の弟である連の恋人)、柚子、琴音 (柚子の義理の妹) に繰り返し語らせている「何かを変えるためには動かなくてはいけません」というセリフ。人それぞれに持っている立場や能力による現在の状況は、自分で変えようと動かない限りどうにもならないことを伝えようとしている場面です。障害がある人だろうが健常者であろうが、それぞれ状況に違いはあれど同じことが言えるはず。自分のことがわかっているだけに踏み出せない一歩というものがあって、それを踏み出さないことには何も変わらない。でも踏み出せない。踏み出せない理由は簡単で、踏み出すことで少なからず傷を負うことがわかっているからですね。このあたりは個人的には結構痛い部分だったりします。もちろん、そんなことを考えなくても充分現状に満足できる人も世の中にはたくさんいるとは思いますし、それに越したことはありません。

と、余計な話を書いてしまいましたが、物語自体は限られた放送回数の中で多少の詰め込み感や設定の強引さはあったものの、良い内容だったなと思います。柚子役の香里奈が連続ドラマ初主演で、役のために髪をバッサリ切っての出演だったことは結構話題になったようですが、演技そのものも素晴らしかったと思います。こういう役はある意味演じる側も辛いものがあるかと思います。違和感無く完璧に障害のある人を真似るわけですから。普通だったら目をそらしたくなるような姿も演じなくてはいけないわけで、恐らく心苦しさもあるはずです。それに綺麗なモデルさん感覚ではあり得ない姿をさらすことになります。全編通して「ここまでやる?!」というシーンもいくつかありました。以前「CA とお呼びっ!」に出演していたのを観たときも、モデルにしちゃかなり上手いなと思っていたのですが、今回改めて演技力の高さを認識しました。余談ながらショート・カットで劇中はほぼノー・メイクだった香里奈ですが、見た目もこれまでのイメージより個人的にはよっぽど良かった。こんな可愛かったっけ?! って正直思いました。

難しい題材だけに他の出演者も実力者が集められていたように思います。特に柚子の母親役が岸本加世子というのは、外せない印象がありました。子役を含め脇役の役者さんのレベルが高かったことが、完成度の高さに繋がっていたように思います。個人的に物語の構成上ポイントだったと思うのが、原作には登場しない (らしい) 琴音という登場人物。設定は柚子の子供ひまわりの父親の妹、つまり柚子の義理の妹です。存在や柚子との関係に多少の無理はありましたが、障害を持つ人と無縁の一般の健常者という視点から、話を追う毎に障害を持つ人と密接に関わる関係という視点に軸足を移す役割です。一般にはあまり想像し得ない環境の話ゆえに、限られたドラマの放送時間で物語を視聴者が理解する手助けをするために必要な役割を担っていたと思います。なかなか微妙な役所でしたが、演じていた福田沙紀が上手く表現していました。演技の技術云々というより、設定された人物像の心情がよく出ていたのが好印象でした。fujaata が観たドラマではいずれもスペシャルもので「星ひとつの夜」「一瞬の風になれ」で福田沙紀を観ましたが、可愛い女子高生役よりちょっと訳ありで陰がある役を表現するのが上手いタイプに思えます。

fujaata の観点からはもう一つポイントがありました。柚子の弟の連はピアノの才能があり、大学でピアノを学んだものの柚子を抱える家庭の事情からピアニストの道を (一旦) 諦め、サラリーマンとして生きていく設定なのですが、その連が精神的に取り乱した柚子を自分の弾くピアノで落ち着かせるというシーンがあります。fujaata も趣味で演奏者側になることがありますが、上手下手ではなく、自分の演奏でその場にいる人の気持ちを動かせるというのは素晴らしいことだと思います。もちろん音楽をやっていく上で技術的な面の追求は欠かせないのですが、聴いてくれる人の気持ちを動かすというのはもっと大切で、演奏する立場にある人ならばそういう面を意識することは大事なことだと思います。自分が演奏する楽器や棒で作る音楽で、その場にいる人達に何かを伝えることが一表現者としてあるべき姿の一つかなと。プロであれアマチュアであれ、人前で音楽を奏でるという活動にとって共通のテーマではないでしょうか。

まだ幼い子供や障害で言葉が上手く話せない方の前で演奏するというのは、かなり恐いことでもあります。健常者の大人なら言葉で感想を表現することができますし、あまり面白くなくても「良かった」と言うことができます。しかし前述の彼らの反応はストレート。そこにお世辞だの体裁だのはありません。伝わったのかそうでなかったのかは目の前の姿を見ていれば露骨にわかります。どんなにリズムや音程が揃っていても、超絶技巧テクをかましても、目の前の子供が踊ったり悲しんでくれなかったら、それは多分表現としては成立していないのだろうと思います。上手く伝えられた時の本番は、演奏した側も達成感がありますね。後で録音を聴くと「なんじゃこりゃ」という場合も多々ありますが、少なくとも演奏したその場には人の気持ちを揺さぶる何かが存在したことは間違いないでしょう。それで尚かつ録音を聴いても「聴ける」演奏でもあるべきなんですが...。(^^ゞ

音楽といえばテーマ曲の「遥花」も好きですね。melody. の曲は結構好きで何枚か CD を持っていたりするのですが、あのサビへの展開はよくあるパターンながら個人的にかなりツボです。どなたか今度カラオケか何かで fujaata に歌って頂けると嬉しい。
それから原作タイトルでもある「だいすき!!」のネーミングも良いなぁと思いました。暗さや辛さを感じさせず、とても明るくて前向きな感じがします。自分のこととして捉えたときに「だいすき!!」な人がたくさんいるのは幸せなことだと思います。

6 月 4 日には DVD が発売されるそうなので、見逃した方は是非一度観て頂くことをお薦めします。特に小さいお子さんがいる方や、これからお父さんお母さんになる方には、いろいろ考えさせられる部分も多いかと思いますので。

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久々に更新

永らく開店休業しておりました Fujaata World ですが、約 1 年半ぶりに更新を再開しました。
休業中「いつ沖縄から帰ってくるんだよ」だの「もしかしてあの世に行った?!」だの「最近の生態がちっともわかんないじゃないか」等々、多々お叱り(?!)も頂戴致しました。というか、読んでくれている奇特な方いるんですね。しかも 1 年半も放置してあった Fujaata World を定期的にアクセスしてくれている方もいるようです。普段あまり実感はありませんが、ありがとうございます。

とりあえず沖縄から帰って来なきゃということで、今更ながら後半部分を載せておきました。実は手元では以前に書き上げてあったのですが公開していませんでした。また、ぼちぼちと書いていくことにしましょうかね。といっても、いつまた休眠するかわかりませんが。

この 1 年半、公私ともに本当にいろんなことがありました。ものを書く時間も物理的に無かったし、ものを書く気分にもなれなかったし。残念ながらいろんなことの大半は良いことや楽しいことではなく、怒れること、悲しいこと、理不尽なこと、しんどいことだったように思います。それでも自爆することも、他に当たり散らすこともなく、端から見れば一見平穏に過ごしてこられたのはやはりそれなりに歳を取ったからでしょうか。

とにかく気がつけば社会人になって 10 年目。いろいろ切羽詰まってきたのも事実。決して状況は楽になったわけでも改善されたわけでもありませんが、まぁ、元気にやっているのも事実なわけで、それなりに楽しくやってますというのが近況でしょうか。

1 年半の間に書こうと思って書きかけた原稿も多数あるのですが、そのあたりは機会があればネタとして出していこうと思います。また気が向いたら見に来て下さい。ついでにコメント等もたまには残していただけると、それなりに書く気力にもなるかと思います。ヨロシク!

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さらば沖縄

Naha_30810 月 16 日、いよいよ今日で休暇も最終日。休みの一週間なんてあっと言う間。明日からは通常勤務 (=残業三昧とも言う) が待っています。あ~ぁ、もうおしまい。日本の会社で欧米のように毎年数週間の休みが取れる時代は来るのだろうか。沖縄にはのんびりした生活を求めて移住を希望する人がこのところ増えているらしいのですが、現実はそう甘くないのはどこでも一緒。若くして事業を一発当ててセミ・リタイア生活に入っている人ももちろん沖縄には多数いるようですが、今の仕事をしているようでは夢のまた夢。といっても今の会社が扱っている商品や業務は嫌いじゃないし、まぁそれなりの給料は頂いているので贅沢も言えません。

Naha_3017:00 過ぎに目が覚めたものの、まだ何となくだるく二度寝。それでも 8:00 には起きて活動開始。荷造りと洗顔を済ませ、9:00 前に朝食を求めて国際通り方面に向かい、平和通り商店街にある沖縄ローカルのファースト・フード jef へ。モーニング・セットでポークタマゴサンドを注文。コールスロー・サラダと飲み物付き。おかわり自由のホット・・コーヒーを選択。店内備え付けの新聞を読みながらゆっくりし、資金調達に国際通り郵便局へ向かいます。郵便局で沖縄のふるさと切手をすこし購入しました。

Naha_302このあとはおみやげ調達です。まず牧志公設市場の 2F へ。ここで「」のサーターアンダギーを購入。噂通り開店前から結構な数のお客さんが並んでいます。開店後 10 分で売り切れるとか、予約なしでは買えないと言われているだけのことはあります。10 個入り 735 円。若干高めなお値段ですが、材料が良いとのことなのでそんなものかも知れません。サータアンダギーは公設市場周辺で結構自家製のものが売られていますから、何度も沖縄へ行かれている方ならあれこれ食べ比べてみるのも良いかと思います。店によって味も大きさも大きく違うようです。
それから頼まれモノの泡盛を調達に泡盛屋へ。4 合瓶ですが、木箱入りの高級品なので結構な重さです。一端宿に戻りチェックアウトに備え、部屋の荷物を外に出しておき再度出発。

Naha_307Naha_306Naha_305Naha_304Naha_303沖縄のおみやげは本当に安くてみんなに買って帰るのは構わないのですが、荷物を背負って自転車と共に移動することを考えるとあまり買えません。飛行機に乗せられる荷物は限られていますし。え、宅配便?! それはもちろんアリなのですが、一人暮らしの fujaata は受け取りに苦労するので避けたかったのでした。なので自転車も手持ちで輪行しているのです。結局、目に付いたアロハ・シャツをもう一枚買い、露天でおやつ代わりの黒糖をいくつか買って再度宿に戻りました。

Naha_310Naha_312Naha_313戻ると時刻は 11 時過ぎ。せっかくですから那覇を離れる前に食事を済ませておきたいところ。今度はチャリに乗り国際通りからは北東に位置する泊(とまり)へ向かいました。このあたりは那覇初日にも走っているので迷うことなく目的地へ。ここには「ぜんざいの富士屋」があります。店の生い立ちなどは他に譲るとして、結構有名な店のようで入口では大きく引き延ばされた中尾彬さんの写真が出迎えてくれますし、店内には有名人のサインが多数飾られています。この店は今回の那覇修学旅行の目的地の一つです。といっても、元々の目的の店舗すでに存在しないのですが...。


Naha_309Naha_311ぜんざい屋なんですが軽食もあって昼ご飯も食べられます。早速野菜そば(野菜の入った沖縄そば)とジューシー(炊き込みご飯)のセットを注文。これが思ったより大盛りな感じで出てきてくれて嬉しかったのですが、一瞬本命のデザートに計画しているぜんざいが入るか不安がよぎります。結果的には楽勝でクリア、というかそばも炊き込みご飯も美味しかった。
昼ご飯を平らげたところで、本命(?!)のぜんざいを注文。沖縄のぜんざいは本州で想像するようなあずきを煮たものに白玉が入っているそれではなく、かき氷の上から本州のぜんざいがかけられているようなもので、特に富士屋のぜんざいは氷じたいがあずきを煮た汁で作られています。言ってしまえば氷あずきに近いものです。そして口直しに塩せんべいが添えられています。まだまだ暑い沖縄でデザートにかき氷というのがまた幸せな感じ。氷があずきの煮汁でできているので、氷だけでもおいしいのがいいですね。旅行最後の食事を堪能したのでした。

Naha_314Naha_315Naha_316Naha_317Naha_318これで本当に最後、宿に戻り荷物を背負いもちろんチャリで那覇国際空港を目指します。国際通りを抜け国道 52 号線に出て、来たときとは逆方向に走ります。あぁ、良かったな、沖縄。是非また来たい。今度はいつ来ることができるのだろうか。
52 号線から空港道路の 332 号線に入り空港へ...あれ、チャリはどこから入ればいいんだ?! 考えてもしょうがないので、空港ターミナルへ繋がる車道をそのまま走ることにしました。到着時は到着ロビーが 1 階だったのですが、出発ロビーは 2 階です。高架の道をバスや車と同じ経路でターミナルへ向かいますが、何か変な感じです。そのままターミナルに乗り入れ、来たとき同様ビル入り口のバス停の脇で輪行作業。これで今回の旅でバラすのも最後です。
多少並んだものの丁度良いくらいのタイミングでチェック・イン。自転車と荷物を預けてゲートへ、いよいよ沖縄とも本当にお別れ。帰りも窓際の席で機内誌の地図と外の景色を見比べながら沖縄の島々を確認しつつ、一路中部国際空港へ。

日没直前に中部国際空港に着陸。自転車と荷物を受け取りバス・ターミナルへ。空港内のコンビニで晩ご飯の弁当を調達。さすがに荷物を抱えているので、どこか店に入って食べる気も無く、かといって自宅に帰ってからでは晩ご飯の時間には遅いし面倒な感じだったのでバスの車内で弁当を食べることにしました。

Naha_319Naha_320空港からのバスの中、弁当を食べたらさすがに疲れていたのか眠くなり寝てしまい、気がつくと浜松付近。そのまま終点の浜松駅までバスに乗りました。
浜松駅でバスを降り、さて電車...と思ったのですが、考えてみたら自転車を持っているじゃないですか。しかも明日は朝からこの自転車に乗って出勤です。どうせ帰ってから組み立てるのならここで組み立てて乗って帰ればいい。進行方向を自宅方面の出口に変え、出口付近で自転車を組み立て、自宅に向けて最後の道を走りました。この帰り道はそのままいつもの最短コースの通勤路。時刻は 21 時過ぎ、途中会社前を通ると職場にはまだ当たり前のように電気が点いています。明日の今頃はあの中で仕事です。一気に現実に引き戻されつつ自宅に戻り、無事旅を終えることが出来ました。

初めての一人旅、初めての輪行でしたが、終わってみれば楽しかった。自分の足でその土地を走ってきたというのは結構な満足感です。車のように速く遠くへは行けませんが、移動そのものがまさに旅行で、普通の人なら見ないような気付かないようなものも見ることができるというのは、やはり楽しい。
また、機会を見つけて出かけたいと思います。

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やっぱりチャリで沖縄巡り

10 月 15 日全国的に日曜日、この日も朝から雲はあるものの比較的良い天気。もちろん暑いのには変わりないのですが、チャリを走らせるには気持ちよさそうな雰囲気の中お目覚め...ってもう、8 時過ぎてるし。
この日は那覇から南をぐるっと回ることを前日に計画。首里城にはじまり平和記念公園、ひめゆりの塔をまわるという、まさにお約束の観光コースを走る計画です。

Naha_201Naha_202とりあえず宿を出てまずは朝ご飯の調達...さすがに朝からご飯が調達できそうなところはあまり無いですね。都会なのでファースト・フードでもと思ったのですが、想像より店は少ないイメージです。県庁方面へ向かうと吉野屋を発見。沖縄吉野屋限定タコライスを頂戴しました。沖縄ではタコライスはメジャーな食べ物。ご飯の上にキャベツと挽肉が載っており、その上にタコス・ソースがかかっています。感激するような味ではありませんが、これはこれで美味しい。

無事朝食にありついたところで、早速最初の目的地首里城を目指します。城と言うからには小高い山の上にあることは容易に想像できるのですが、この首里城へ向かう道は思ったよりきつい上り坂になっていました。坂を上りながら途中街の方をみると、まだまだ緑が多い街の風景が目に入ります。こういう雰囲気も良いですね。ノンビリ風景を見ていると日が暮れてしまうので、気を取り直して自転車で坂を登ります。この日も日差しも強く、初っぱなからかなりの体力を消耗します。それでも程なく首里城公園 http://oki-park.jp/#syuri の入り口へ着きました。駐車場はあるものの、駐輪場らしきものが見つからなかったのでその辺に自転車を括り付け首里城公園に入ります。

Naha_203Naha_204Naha_205まずはお約束の守礼門ですが、門のすぐ先が工事中でした。記念撮影しようとすると、工事現場が写ってしまうのがちょっと残念。タイミングが悪かったですね。とりあえず守礼門を抜け首里城を目指します。

首里城は琉球王朝時代の城で第二次大戦中に消失、さらに城跡に琉球大学を建設したため元の城は完全に破壊されました。その後復元され現在の姿になっています。まだ完成ではなく、しばらくは復元工事が続くようです。

Naha_206Naha_207Naha_208Naha_209しばらく登ると正殿がある御庭(ウナー)の手前の広福門に到着。ここから先は有料なので入場料 800 円也を支払って中に入ります。この日は広福門の脇で琉球舞踊が披露されていましたので、しばし鑑賞。そして御庭に入り番所から南殿、正殿、北殿の順に見て回ります。詳細はガイドブック等をご覧頂くとして、とにかくよくこれだけのものを再現したと思います。非常に精巧だし美しい。消失時の写真や正確な図面が残っているわけではなく、当時の絵画や遺構から想像して再現したものも多いと思いますが、仮に現代まで琉球王朝が存在していればそれなりに進化もあったはずなので、復元とはいえどこれはこれで良いのだと思います。

Naha_210ノンビリしたいところですが、時刻はすでに 12 時半。先を急がねばなりません。守礼門前で記念撮影をして、公園出口まで戻りチャリにまたがってさぁ出発、...と公園出口の南側すぐの金城町の石畳入り口まで来たところで突然の雨。やむなく木陰でしばし雨宿り。空は明るいのですぐにやみそうだったのがせめてもの救い。案の定 20 分弱も待っていると何とか走れる状態になりました。ここからまずは県道 82 号線を目指します。

ところが、道に迷ったらしく崎山という地名の崖の上 (崖下も崎山だったのですが) に出てしまい、崖の下に 82 号線と那覇 I.C. は見えるものの到達できず。かなり遠回りをしてやっと 82 号線に出ることができました。

Naha_211Naha_212予定より大幅に遅れているためここから一気に南を目指そうと思ったその矢先、那覇 I.C. を過ぎたところでまたもや雨。進行方向左側は I.C. の入り口はあるものの、それ以外なにもありませんから一気に南下しました。しかし真地の交差点で前進が厳しいくらいの雨に。交差点脇のビルの軒下で雨宿りしましたが、簡単にやみそうにはありませんでした。
ふと信号の向こうを見るとローソンの看板が。ツーリングのオアシス、コンビニ発見です。何もない軒下よりコンビニが良いに決まってます。雨の中ダッシュで「ローソン真和志高校前店」へ。実はこのローソンちょっとした曰く付きで、fujaata ならわざと寄ったと思う方もいるでしょうがあくまで偶然。

Naha_213Naha_214Naha_215Naha_216それはさておき寄ったのは正解。というのは店内に入った途端、前が見えないくらいの大雨になったからです。こりゃ計画中止かな...と思いながら 30 分ほど待つと、無事晴れ上がってくれました。時はすでに 14 時過ぎ。昼ご飯は平和記念公園付近で調達する予定だったのですが、多少お腹が減ったのでポークたまごのおにぎりと缶コーヒーを調達。急ぐにしても燃料なしでは走れません。

すでに大幅に遅れた状態でしたが、都会だし、極端に遠距離では無いので行けるところまで行ってやろうと 14 時半過ぎに再びスタート。当初は南東の知念半島周りを考えていたのですが、さすがにそれは無理なので南下して直接平和記念公園を目指すことにしました。外はもうすっかり晴れ上がっています。この勢いで一路ひたすら目的地へといえば格好良いのですが、スタートしてすぐに道を間違え那覇方面に向かってしまいました。これは割とすぐに気が付き軌道修正しましたが、約 10 分のロス。

Naha_217Naha_218Naha_219Naha_220Naha_221Naha_223Naha_222今度こそ本当に平和記念公園を目指します。距離にして恐らく 20 km 程度のハズなので、飛ばせば 1 時間ちょっとで着けるはずです。途中から国道 507 号線に入り八重瀬町役場まで Up and Down の続く道をそれなりの速度でひたすら突っ走り、役場前の具志頭交差点から国道 331 号線に入ります。
平和記念公園の手前で風車を横目に見ながら無事平和記念公園に到着。時刻は 15 時 45 分頃でした。資料館も見たかったのですが、修学旅行生がワンサカいたのと時間的に満足に見ることができないので諦め公園内を見て回ることにしました。
都道府県毎に並んだ無数の戦没者の名前が刻まれた石碑と、穏やかな公園の風景が現在は違和感なく存在していますが、この場所が石碑に刻まれた人達が命を落とした戦争の主戦場の一つだったことも事実。それにしても石碑が取り囲むように作られた海に面した広場からの眺めはきれい。悲惨な状況を彷彿とさせる戦跡も大事ですが、今の人達が何度も来たいと思える場所にそういう記録があることも大事なことだと思いました。人を遠ざけては本来の意味がありませんからね。
その後、各都道府県の碑を見ながら一通り園内を見て回りましたが、さすがにゆっくりはできず 30 分ほどで公園を後にしてひめゆりの塔へ向かいました。

Naha_224Naha_226Naha_225Naha_231ひめゆりの塔は平和公園から 331 号線沿いを 3km くらい西へ向かったところにありますから、15 分もあれば行くことができます。もちろん、それなりに飛ばしていきます。ここも時間の都合上資料館へ寄ることはできずひめゆりの塔そのものを見るだけでしたが、看板にその由来がかかれており、ひめゆり部隊の足跡が説明されていました。集団自決なんて今の自分には考えられませんが、当時の状況や群集心理からはあたりまえのような発想だったのかも知れません。ただでさえ痛いのと恐いのは NG な fujaata としては、それだけで想像するのもゴメンです。それだけにあまりに気の毒な歴史的事実だと思います。
しかしこのひめゆりの塔の周辺は、観光客相手の土産物屋やドライブインばかりですね。ちょっと節操が無い感じです。

Naha_232Naha_229Naha_227Naha_228Naha_230時刻は 16 時 50 分頃。日没まで 2 時間弱でしたが、ここまで来たので地図上はさほどひめゆりの塔から離れていない喜屋武岬も寄ることにしました。近そうに思えたのですが、実は国道 331 号線から一旦離れて細い道を数キロ南下しなくてはいけませんでした。思ったより遠い上周囲は何も無く、道もそんなに状態が良いわけではありませんでしたが、ここまで来たら勢いです。かなり飛ばしていたのでひめゆりの塔から 20 分ほどで、まずは具志川城跡に到着。城跡と言ってもそこに看板が無ければただの荒れ地。断崖絶壁の土地にかつての城の基礎が残るだけです。ここが先の大戦末期、米軍が沖縄本島上陸の足がかりにした場所とのこと。今は崖に波が打ち寄せる、ちょっと迫力のある景色を見ることができる場所ですが、当時はここに米軍の軍艦が押し寄せて来たとのこと。戦争の勝ち負けやどちらが正義かはさておき、激しい戦闘が展開された場所であり、多くの人が犠牲になった場所であることは間違いありません。

Naha_234Naha_233そしてここから少し移動したところにある平和の塔のある喜屋武岬へ。第二次大戦末期は戦場だったこのあたり一帯ですが、今は本当にきれいな風景の観光地になっています。もっともここには土産物屋も平和の塔の他に目立つような観光施設もありません。あるのはトイレと展望台くらい。今は本当にのどか。夕暮れ時の岬から見える海の景色は美しく、来て良かったと思います。

Naha_235Naha_236さて、時刻は 17 時半。日没まで 1 時間といったところです。那覇市内までは約 15 km ですから、何とか日没までには戻れそうな雰囲気です。再び 331 号線に入り一路那覇を目指します。
夕日を左手に糸満の市役所脇を通過し、那覇に向かう飛行機上から見えた西崎運動公園にちょっと寄り道して、豊見城市役所と沖縄アウトレット・モールの脇を抜けひたすら北上です。

Naha_237が、このあたりで燃料切れ。昼ご飯はポークたまごのおにぎり一つでしたから、さすがに厳しいモノがあります。晩ご飯の時間は目前ですが、ここはコンビニに立ち寄り紅芋のデニッシュと最近あまり見かけない森永ヨーゴの 500 ml パックを調達 & 投入。

那覇市内まで残りは数 km。陽も良い具合に傾いてきたところで航空自衛隊、陸上自衛隊の那覇駐屯地脇を通過し、那覇空港道路と合流、そのまま昨日と同様に明治橋を渡り那覇市内に入ります。そのまま宿に戻っても良かったのですが、丁度日没時間に近かったので昨日行った海岸方面へ向かい日没の海を見ることにしました。残念ながら日没方向は曇っていて日の入りは見ることが出来ませんでしたが、日暮れの雰囲気は楽しむことができました。Naha_238
Naha_242Naha_240Naha_241Naha_239宿に一旦戻り、晩ご飯を調達に国際通り方面へ。この日は牧志公設市場 2 階の食堂街で食べることにしました。休日なので開いている店は限られていましたが、そこでフー・チャンプルーの定食と刺身の盛り合わせを注文。オリオン・ビールの大ジョッキで旅の打ち上げです。これで 2,000 円ですから、充分幸せな感じ。

それにしても思い起こせばこの日も盛りだくさんでした。そうそう、日中首里城近辺で出くわした猛烈な雨はどうやら首里城東側だけの話だったようで、首里城の西側に位置する国際通り近辺では雨は降らなかったとのこと、う~ん。え、誰ですか?! 恵みの雨とか言っているのは!!

沖縄本島も回れたのはほんの一部。いつかまた他の場所も走ってみたいと思います。

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沖縄修学旅行

Naha_116相変わらず無計画なので宿に置かれたガイドブック等を眺めどうするか考えるも、まずは昼食を探しながら手近な国際通り近辺を歩くことに。

世間は 10 月の半ばとあって絶好の観光シーズンなのですが、同時に修学旅行シーズンでもあります。ご多分に漏れずここ那覇も修学旅行の高校生がワンサカやってきています。fujaata の出身高校はそもそも修学旅行が無かったのですが、当時は都立高校(fujaata は東京出身) は修学旅行に飛行機が使えず沖縄へ行く学校は私立高校くらいでした。今や都立高校でも沖縄へ行きますし、私立高校だと海外にホーム・ステイなんて話もありますから世の中変わったものです。
そんなわけで今回の沖縄旅行、最後の沖縄本島は「修学旅行」がテーマです。はい、このとき決めました。心はいつまでも 17 歳の fujaata なので丁度良いってところでしょう。後になってみれば確かにいろんな意味で修学旅行でした。ま、わかる人にはわかるってことで。

Naha_110Naha_108Naha_112ガイドブックを見ても那覇と言えばまずは国際通り。ひたすら土産物屋の列、それも同じ系列の店が何軒も並んでいますがとにかく賑やか。何となく原宿な雰囲気。とにかくひたすら覗きながら雰囲気を楽しみます。規模は小さいですが三越もあります。原宿な雰囲気の中に三越ってところがまたちゃんぽんな感じですが、せっかくなので一応覗いてみると当然ながらタダの(?!)三越でした。反対側には OPA もあります。こちらも覗いてみると TOWER RECORDS が入っています。別にタワレコなんて浜松に帰れば近所の AEON にもあるのですが一応見学。見てみると沖縄出身のメジャー・アーティストやローカルで活動しているインディーズ・レーベルのコーナーが充実しています。比較的大きな棚 2 つ分くらいはあるでしょうか。その後、国際通りにある地元レコード・ショップも見てみましたが、こちらも同様。単に観光客目当てというわけではなく、土地の人から支持されているのだと思います。沖縄は非常に音楽活動が盛んな土地ですし、近頃はレコーディング・スタジオの進出も増えています。いいですよね、沖縄ののんびりした雰囲気の中でのレコーディング。と言っても fujaata が別にレコーディングするわけじゃありませんがね。いや、やってみたいとは思いますが。(^^ゞ

Naha_113Naha_109Naha_111国際通りを一通り見たら、次はやはり市場でしょう。牧志公設市場方面へ向かったのですが、これがまたどこがどうなっているかわからないくらい入り組んでいます。でも、この雰囲気は何となく懐かしい感じ。子供の頃よく行った吉祥寺のハーモニカ横町やサン・ロードの感じに似ています(今はだいぶ変わってしまいましたが)。それにしても凄い人の数。本当に賑やかで活気があって、歩いているだけでも楽しい。本当に地元の生活のためのものを売る店から土産物屋までごっちゃになっていますが、観光客がこれだけいても土地の生活感が残っているのが良いですね。


Naha_114お腹も減ってきたので公設市場そばの花笠食堂で「てびち定食」を食べました。てびちは沖縄の家庭料理で豚足の煮付けです。豚足が苦手な方は抵抗があるかもしれませんが、基本的に好き嫌いが無い fujaata は、およそ日本国内の料理であればものを知らずに注文してもまず食べられないものはありません。しかしまぁ、ご飯もついてお吸い物代わりの沖縄そばもついて副菜もついて 800 円ですよ、やはり安い。

食後は再び市場や国際通りをゆっくり見て回りました。食事前に位置感覚を掴むために一通りざっとは見ているのですが、のんびり丁寧に見て回ると普段見慣れないものもたくさんあって面白いのです。そう言う意味では国際通りより市場の方が面白い。国際通りは本当におみやげ物屋さん街です。

Naha_1152 ~ 3 時間ブラブラしたところで休憩がてらアイスクリーム屋へ。沖縄といえばブルー・シール・アイスですね。どこへ行ってもこのブランドが目に付きます。ここでトウキビ味と紅芋味のダブルでアイスを注文。やや甘みは強いものの、それらしい味でおいしい。

Naha_117Naha_118Naha_119ここで一旦宿に戻り、今度はチャリで市内を散歩することにしました。とりあえず海岸方面を目指してみようと思い、アテもなく北の方へ進んでみることに。
適当に地図を見ながら走っていたのですが、どうやら思ったところより一本東側の道を走っていたようで、公園に突き当たりました。それもどちらかというと公園の裏側だったようで、公園を抜ける方法がわかりません。たどり着いた公園の左手すぐにはテニスコートがあったのでそこを抜けられるかと思ったのですが、そこは隣接する学校の敷地内のテニスコートで当然抜けられません。引き返すのもつまらないので学校の敷地沿いに進むとすぐに学校の正門と比較的大きな道が見えました。ちなみにこの学校は「那覇商業高校」。建物は新しくはないけれど、結構モダンな作りの校舎です。

通りに出て北を目指すと比較的簡単に海岸沿いの駐車場にたどり着くことができました。さすがに八重山諸島ののどかな港ではなく立派な都市の港そのものですが、それでも旅行で来ているからか特別な雰囲気を感じます。夕陽も良さそうなので後ほどまた来ることにして、とりあえず今度は 58 号線方面へ。

Naha_120Naha_121Naha_12258 号線に出て国際通りの北東の新都市方面へ向かいます。ゆいレールの何となく外側を走る感じでしょうか。表通りは関東の都市部と大して変わらない雰囲気なのですが、一歩路地へ入ると静かな住宅街になります。東京なら中央線の吉祥寺か荻窪近辺の雰囲気でしょうか。いや、表通りはもうちょっと都会かも知れません。

国際通りや市場のあるエリアをぐるっと外回りして、巨大かつ近代的な沖縄県庁前を抜け、再び海岸方面へ。そろそろ日没です。この日も雲が多かったものの、夕日を拝むことができました。都会の岸壁の夕日も良いものです

Naha_123Naha_124宿に戻り、備え付けのガイドブックを参考に晩ご飯の調達先を検討。といってもやはり一人で飲みに行くわけでは無いので、定食屋を探します。何となくあたりを付けて、店がありそうな場所を実際に歩いてみることにしました。

結局入ったのは国際通りの裏路地にある家庭料理「まんじゅまい」。まんじゅまいとはパパイヤのことで石垣の言葉のようです。店名の通りまんじゅまいが食べられることを売りにしており、ならばと「まんじゅまい炒め」を注文。ご飯もついて 600 円。あれこれ注文しても良かったのですが、一人じゃそんなに食べられません。しかも三線を伴奏に民謡のライブ付き。いい雰囲気でした。Naha_125Naha_126Naha_127jpg

とりあえず宿に戻ると、管理人代行の中村さんがノンビリ一人で飲んでました。せっかくなので fujaata も買い物がてら近所のローソンに出かけオリオンの 500ml 缶を調達してきました。ついでに翌日のためにドラッグ・ストアでさんぴん茶の 1.5L ペットボトルも調達。これがまた 100 円と安かった。

翌日自転車で距離を走るつもりだったのでさほど飲むつもりは無かったのですが、簡単にオリオンの缶も空いてしまったので宿に置かれていた泡盛も一杯頂戴しました。
ゆるい雰囲気で過ごしていたのですが、意外と疲れたのかすぐに眠くなったのでこの日はさっさと寝てしまいました。

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那覇へ

10 月 14 日、土曜日。この日は朝 9:35 発の那覇行きに乗るために 7:30 頃起床。身支度を調え、ほぼ荷造りの済んだ荷物に前日に干した洗濯物を取り込んで詰め込んだ後は前日に調達したパンとおにぎりで簡単に朝食。さ~て行くかぁ、と思ったところで財布が見あたらないことに気づく。その辺を散々探すが見つからない。ふと前日の記憶を辿るとヤーンブジーナの事務所で財布を手にしていたことを思い出す。もしかすると事務所に忘れたかと思い、急いで管理人の桂子さんに電話をして来てもらいました。
桂子さんに事務所を開けてもらって中を見たものの、やはり財布は見あたりません。さすがにこうなると緊張感が走ります、走った勢いで再度荷物をひっくり返すと...カバンの底から見慣れた財布が登場!! やっちまいました。前日の夜、忘れ物が無いように全てのものをカバンに詰め込んだのは良かったのですが、財布まで詰め込んでしまったのでした。
というわけで無意味に桂子さんをたたき起こして呼び出してしまって非常に申し訳なかったのですが、会わずに勝手に出て行くところを最後にご挨拶出来て良かったということにしてもらいましょう。

Naha_101そんなこんなで、当初の計画では 8:00 過ぎに宿を出てのんびり走って 8:30 頃空港について、20 分くらいで輪行作業をして楽勝で搭乗手続きの予定だったのですが、宿を出たのが 8:30 ちょっと前。さすがに多少心配になりますが、それでも空港へはちょっと飛ばせば 15 分あれば余裕で着くだろうと踏んでいたので何とかなるとは思いました。案の定飛ばしたら 8:40 分頃には空港に到着。まずは発券してもらい、最終搭乗手続き時刻を確認すると出発 20 分前までは大丈夫そう。これで安心、楽勝です。輪行作業も慣れてきており、しかも短期間に何度かバラしをやっているので、パイプの抜き差しもあっけなく出来てしまい 10 分ちょっとで作業が完了。Air Glide のバラしで一番時間がかかるのが、チタン製のトップ・チューブを抜くこと。普段はここが固着してしまって簡単には抜けません。ここが今回は固着していなかったので簡単に抜けたのがラッキーでした。
荷物を持ってカウンターへ行くと思ったより行列が出来ていましたが、それでも 9:00 少し過ぎには搭乗手続きと荷物の預け渡しが完了。トイレへ行って検査場を通りさっさとゲート (というより待合室) へ向かいます。ゲートからはバスで数 10m 先の搭乗口へ移動。もちろん、この便も窓際の席を確保しておきました。進行方向左側。

来たときと同様石垣の島々を見ながら一路那覇へ。コバルト色の珊瑚礁の海を見下ろし、改めてその美しさに感激。また来たい、絶対来たいと思うと同時に、まだ見ぬ沖縄本島へ行かずここに留まっても良かったのではないかと一瞬思ったのでした。機内のドリンク・サービスで期間限定のポンカン・ジュースを頂きました。結構おいしかった。八重山諸島を離れしばらくすると、あっというまに飛行機は降下を始め着陸態勢に。眼下には沖縄本島の様子が見え、最初は岩場の海岸線が見えたものの、すぐに海岸沿いの大きな運動場と公園が目に入って来ました。そしてそのまま着陸。

飛行時間 1 時間足らずで那覇国際空港に到着。荷物と自転車を受け取り出発ロビーへ。前日夜に実家から電話をもらっていたのに気がつかず、着信履歴が残っていたことを思い出したのでまずは実家に電話。小浜島から東京の実家宛には荷物を送っておいたので到着の連絡だったのですが、まだ沖縄と聞いて多少ビックリしていた様子。しばらく前に実家には旅程をメールしておいたのですが細かいことは気にしていなかったらしく、今頃旅行に出ているかどうかを確認したかった模様。これじゃ事前に連絡してもあまり意味がありません。いつもながら何かズレている感じ。とりあえず旅行も終盤、那覇に着いたことを伝えておきました。

Naha_102Naha_103さて、これから市内へ向かうのですがまずは出口を探します。いや出口はそこら辺にあるのですが石垣と違いここは「那覇国際空港」、スケール感が違います。やたらに出て一般道に出られるのかどうか、ヘタをすると「自動車専用道」しか無かったというオチも(無いでしょうが)あるかも知れません。その場合はこのままゆいレールに乗って市内へ出るという手もあります。ゆいレールにも乗ってみたかったのですが、今回は輪行の旅。せっかく自転車を持っているのですからこれで上陸しない手はありません。となればまずは自転車の組み立てから。バス乗り場の脇でお店広げて組み立てます。カートに荷物を載せた人々が行き交う脇で組み立て作業というのもの初体験。当然ながら難なく組み上がり、荷物を背負い、カートやスーツ・ケースの人達に混じって動きます。さて、どこから出ようかと一瞬考えたのですが、考えてもしょうがないのでそのままバス停からバス・レーンを走って外に出ることにしました。普通、空港のターミナルから徒歩や自転車で外へ出る事なんて考えませんから見た人はさぞ妙な感じだったろうと思います。

Naha_104Naha_105空港道路の 332 号線を那覇港沿いに走り一路那覇市内中心部を目指します。さすがは本州から遠く離れた島沖縄県一の都市、大都会です。本州でも中途半端なポジションに位置する静岡県にこんな都会はありません。言ってみれば東京 23 区を凝縮したような街です。331 号線と合流し明治橋を渡ると 58 号線となり、そこはもう那覇市中心部です。まずは県庁方面を目指し、那覇での宿がある国際通りに向かいます。それにしても国際通り、結構な混雑です。それでも午前中、まだまだマシな状態だったということ知ったのは後になってからです。

Naha_107Naha_106那覇の宿は「ふじ屋」。国際通りの真裏の細い路地にある民家を改装した宿で、ここに 2 泊することになっています。fujaata が宿泊する期間はオーナーは旅に出ていて不在でしたが、オーナー代理の福岡出身の中村さんが対応してくれました。ここも基本的には民家ですから、普通の家と何ら変わりありません。部屋は相部屋あり、個室ありです。今回は予約時に空いていた 3 畳ほどの個室。残念ながらふじ屋は 2007 年 3 月 18 日で営業を終了することになったようです。周辺の再開発が進んでいるとのことで、地主との契約上の問題のようです。まずは無事に那覇に到着です。

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石垣島の夜

この晩は案の定「長期滞在夜のお仕事組」以外に他に宿泊客は無く(正確には夜のお仕事組は夜の出勤まで寝ている)、実質 fujaata 一人で過ごすことに。...と思ったらヤーンブジーナの PC が不調とのことでちょっと様子を見ることに。このあたり fujaata をよくご存じの方は「おまえ、そこでもか」ってところですが、ホント何ででしょうねぇ。かなり内部的に突っ込んだ対策を試みたんですが結果的には思うようにならず。うん、まぁ、確かに原因となったソフトのメーカが定めているやり方ではありませんが、今回の場合メーカに不利益どころか余計な利益まで出す方向性なのにそれを受け付けないってあたりどうなのかと思ってしまいました。ねぇ、Symantec さん。

一通り様子を見てから晩ご飯の調達に表へ出たものの、fujaata の心を捉えるようなお店もありません。fujaata は一人では滅多に飲まないので、一人で飲み屋へは行かないんです。「よろず屋」的なお店で弁当でも買おうと思ったのですが、若干惹かれたもののイマイチな感じ。とりあえず翌朝の朝食にとこれまたポークサンド(おにぎり)と野菜ジュースを買ったのみ。となれば昨日お邪魔したあさひ食堂で食べるのが無難ということで 2 日連続であさひ食堂で晩ご飯。この日はふーチャンプルーを注文。もちろんご飯も味噌汁も付いています。これで 550 円。あり得ん。たいした味でもないのに値段だけは東京並かそれ以上の浜松とは雲泥の差。

しっかりふーチャンプルーを平らげ宿に戻ると、西やんが PC を面倒見たお礼にとビールを出してくれました。さらに洗濯したり風呂に入った後、実質的に一人で滞在の fujaata に西やんが付き合ってくれました。

「楽しくおかしく暮らす」のが西やんのモットー。石垣で宿を始めたのも楽しくおかしく暮らせそうだと思ったからだとか。それ故「あれだけパソコンいじれたら、石垣で充分商売して楽しく暮らせるのに、何で会社員なんてやってるの」「石垣でかわいい嫁さん見つけて楽しくおかしく暮らそうよ」と fujaata への問いかけ。そうですねぇ、確かに今の仕事に満足しているかと言われれば多少の ??? はあるものの、それでも今の会社は「やりたいことがあって」入ったところ。実際にズレはあるものの、世の中にごまんとある会社の中ではやりたいことに一番近いところだと思う。それに仕事以外でも、趣味の楽器演奏の環境はやはり良いわけで、そういった諸々のことが今の場所にとどまらせている理由でしょうか。
西やんに言われるまでも無く、実は PC 周辺の知識は意識して身につけてきたもの。自分のやりたい仕事が出来る環境やその方面の知識を活かせる場所は非常に限られているので、仮に会社が潰れても最低限生きていけるようには考えています。恐らく西やんも言うとおり、当面のことだけ見れば石垣島で起業して生活することは多分可能でしょう。大都会のような便利さはありませんが、のんびりした八重山の雰囲気はとても惹かれるものがあります。多くの観光客がリピータになったり、移住を考えるのもわかります。八重山も沖縄本島も就職は困難ですが、自分で起業できるならきっと楽しくおかしく暮らせるでしょう。ですが、今はもう少し現環境で頑張ってみるのが良いと思っています。

そんな話を皮切りに 2 人だけなのを良いことに結構 Deep な話で盛り上がりました。親子の問題や教育問題、ニートや自立の話などおよそ想像だにしなかったネタで話し込んでしまいました。決してお説教だとか理想論だとかじゃなく、本当に身近な話で気持ちよく意見を交わせたのは楽しかった。そういえばしばらくこういった真面目な話を人としてなかったなぁ。

寝ている人以外に迷惑を掛けることも無いので消灯時間もさほど気にする必要はなかったものの、翌日 fujaata は早めの飛行機で那覇へ飛ぶことになっていたのでほどほどで切り上げ寝ることに。外は夕立のような雨。こちらでは良くあることなんだそうな。翌日の天気予報は悪くなかったので朝には晴れると思われます。朝は勝手に出て行くことになるので西やんとはここでお別れ、再会を誓ったのでした。西やん、お世話になりました。

石垣島は今回島の西側しか回れませんでした。今度は白保の海や玉取崎展望台方面へ行きたいですね。ついでに北部も。近いうちに是非トライしたいと思います。

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チャリで石垣島めぐり

Ishigaki_012Ishigaki_01110 月 13 日。竹富島の夜の疲れが残っていたのか、前日比較的早く寝たのに起きたのは 7 時半頃。もっとも日本の西端に近い場所ですから、日が昇るのも遅いので致し方ないところもあるかと。この日は自転車で石垣島(の一部)を走ることに。

これまでの島はあまりにも小さく、fujaata にとって自転車で回るには非常にあっけないものでした。しかし、沖縄県 3 番目の大きさを誇る石垣島はそんなことはありません。いや、でかい。さすがに一日で自転車で回るのは不可能です。今回は石垣島でもっとも有名な観光地川平湾を中心としたルートを回ることにしました。計画ではおよそ 60km 前後の距離。浜名湖一周だと思えば楽勝です。いや、楽勝のハズ。

Ishigaki_013ルートを調べたり装備らしきものを点検したりと何だかんだ準備をして 9:30 頃に宿を出発。朝食を調達していなかったので途中のコンビニで調達することに。九州、沖縄のコンビニといえばやっぱり「ポプラ」でしょう。そういえば今回の旅行初のコンビニ飯。そうです、石垣島にはコンビニがあるのです。それも結構な数。せっかく食べるコンビニ飯ですからやはりその土地のものを食べてナンボってもんです。買ったのはカラマヨカレーポークとお好みサンドとかかれた 2 種類の「おにぎり」と、具志堅パンという沖縄な名前のメーカのチョコチップメロン、あとは野菜ジュース、こちらは本州でもおなじみのグリコ製。

沖縄でいうところのポークとはポーク・ソーセージのこと。ポークたまごと言えば焼いたポーク・ソーセージと卵焼きの定番の朝食メニュー。お好みサンドはまさにこのポークたまごをご飯で挟んで海苔で巻いたおにぎり。カラマヨカレーポークはカレー味の衣で包んだポークにからしマヨネーズを塗ったものをご飯で挟んで海苔で巻いたおにぎり。味は全く裏切られる事無く想像通りの味。チョコチップメロンはいわずもがなのメロンパンにチョコチップがまぶしてあるアレですが、パン生地が黒糖パンになっているあたりがこちらっぽい感じ。これらを真喜良小学校前の海の見える公園で食べました。

のんびりしていたら 10:30。さっさと行かないと日が暮れてしまいます。前日夕方向かった観音崎までは楽勝です。が、その後急に住宅は無くなり海岸沿いのリゾート地帯へ突入です。そして住宅が無くなったと思ったらダラダラと up and down が続く道。このときは想像もしませんでしたが、この先ひたすら登り下りの繰り返しだったのでした。そしてこのあたりはまだまだ何て言うこと無かったというのは後で気がつくのでした。

Ishigaki_014観音崎から 4km 程道なりに進むとみんさ織のみねや工房が運営する「みんさ織工芸館」に到着。休憩がてらざっと中を見て回り、地図を確認すると目的地の一つである唐人墓を通り過ぎていることが判明。というか唐人墓って観音崎のすぐそばだったのです。迷いましたがせっかく来たのだから見ないのはもったいないと思い引き返すことに。たかが 4km ですから 20 分もあれば戻れるはず。しかしダラダラとは言え up and down が往復 8km 以上加わるわけですから、結構なパワーと時間のロス。

Ishigaki_015唐人墓に着くと他に人は数名しかおらず、観光地にしては静かだと思っていたら甘かった、後からバスでやってきた団体さんが登場。でも、ガイドさんの案内を便乗して聞けるのはラッキー。詳細は省きますが唐人墓はかつて米国人の虐待を受けた中国人の墓。中国風の極彩色で彩られており、装飾も龍や中国の民族服を着た人々があしらわれています。海の見える静かな丘に豪華絢爛、墓とは思えないような賑やかさ。その対比が何とも印象的です。敷地内には戦争の歴史を刻んだ碑がいくつか建てられていました。

しばし唐人墓を見た後、再度同じコースを北上。みんさ織工芸館を再び過ぎて今度は一路御神崎(おがんざき)を目指します。名蔵湾を左手に名蔵大橋を渡ると左手に屋良部岳が見えてきます。この屋良部岳の北側が目指す御神崎です。屋良部岳は思ったより高さがあり、標高 217m あるそうです。このため周囲の道もかなりの傾斜を持っていて、登っては下り、登っては下りの繰り返し。予想外に苦しい道のりとなりました。地図もまともなものはありませんから、途中から意図したコースと別の道を走ることに。本当は屋良部岳の南側を通り西を回って御神崎へ行くつもりだったのですが、途中から北上してしまい東回りで御神崎へ入ってしまいました。

Ishigaki_018Ishigaki_017Ishigaki_019しんどいながらも景色は素晴らしく、走っていて満足感があります。さすがにこれだけの距離と up and down を考えると、ママチャリで走るのは厳しい。普通はレンタカーもしくはレンタバイク、あるいはバスでの観光になると思います。でも、ここでロード用のタイヤを履いた Air Glide の真価が発揮できた感じ。自転車としての走りに満足できます。この走行性能の高さが Bike Friday の自転車の美点。こればかりは他の折りたたみの小径車がかなわないところだと思います。チタン製の、サスペンションを兼ねたトップ・チューブは確実に効果を発揮しており、疲労の軽減に役立っています。それからこういう up and down のあるコースはフロント・トリプルのギヤのありがたさを感じます。折り畳み自転車でフロント・トリプル (前のギヤが 3 段になっている) という仕様も非常に珍しいと思います。普通はギヤ版が増えると重量が増えるだけなのであまり歓迎されませんし、ましてや折り畳んで持ち運ぶ自転車は軽い方がいいに決まっています。でも、折り畳んで運べて「どこでも走れる」というのも一つのあり方だと思います。Air Glide はタイヤを換えればちょっとした Off Load だって走れますから。
欲を言えばフロントのアウター(一番大きなギヤ)の歯数を 60T 以上にしたいところ。現在の構成は下から 34T - 48T - 57T という変則的な構成。これは変速対応のギヤ版で手に入る最大のモノが 57T だったからです。フロント・シングルだったら 61T があるようですが...。38T - 50T - 61T とか 40T - 51T - 62T といった構成に出来たらいいんですけどね。このあたり、もしご存じの方がいらっしゃいましたら是非教えてください。

Ishigaki_020いい加減疲れた頃に御神崎入り口に到着、したのはいいのですが、目の前の道はゲッソリするくらいの急斜面。看板によれば御神崎へ行くためにこの先 600m 程行く必要があるようです。ここまで来て行かないなんて話は無いので、チャリに跨り目的地を目指します。これでも登りは得意な方なので無事登り切ることができました。


Ishigaki_021Ishigaki_022Ishigaki_023いやしかし、良いじゃないですか御神崎、絶景です。灯台のある丘から切り立った岩場の岬がとても良い雰囲気です。ついつい夢中になって写真を撮ってしまいました。fujaata の写真の腕前ではその立体感が表現できず、素晴らしい風景を伝えられないのが残念なところ。いや、伝えられないのは風景だけじゃありません。海の音、山の音、鳥の鳴き声などなど、写真では絶対に残せません。風のあたる感触、日の照りつける感触、空気の匂いはビデオでも伝えることはできません。fujaata は一応音屋なので特に音は結構意識してしまいます。よく「田舎は静かで良い」なんて言いますが、実は物理的にはそんなに静かではないこともあります。海辺の波の音、木が風に揺れる音は結構な大きさがあります。場合によっては会社の事務所より大きいかも知れません。でも心地よいかどうかは別。大きさがどうの、周波数成分がどうのでは言い表せない世界ですね。

Ishigaki_025Ishigaki_024しばらくその辺を探索して御神崎を後に。今度は屋良部岳を西から南に抜けるコースを選択。しかしこれもまた厳しい登り下りの連続。フラフラになりながら登ると一気に視界が開けてしばらく下り、また登りになることの繰り返し。次の目的地川平へ向かう道との合流点 (崎枝) にたどり着くまで 7 ~ 8km のはずですが、とても遠くに感じました。

崎枝から川平湾の見える川平公園までは地図上で 5km 程のはず、そんなに遠くはないと思われるのですが、山あり谷ありは相変わらず。遅い朝食だったとは言え 13:30 はとっくに過ぎていますから、ぼちぼち燃料切れの雰囲気。何とか川平湾近くまで来たところで底地ビーチの案内が見えます。川平湾と陸地を挟んで反対側に海水浴場があるのです。ここまで来たのだから見ておくことにしました。案内では 1.5km、海辺だからとりあえずは若干下るだけだと甘く見たのがいけなかった。このビーチへ行くためにまたしても丘を一つ超える必要があったのです。もうゲッソリ。いや、考えてみればそんなに厳しいコースでは無いのですが、浜松の真夏同様の炎天下でこぎ続けているので体力の消耗が激しいのです。

Ishigaki_026川平ロータリーから底地ビーチ方面へ。この川平ロータリー周辺には民家や消防署、郵便局、ロータリーの中央には鎮守もありますが、ビックリしたのは普通に 3 階建て鉄筋のアパートが周辺にいくつもあること。石垣市内ならまだわかるのですが、この辺で普通に生活するという感覚が fujaata には想像できません。近所にスーパーがあるわけでも、商店街があるわけでもありませんから。


Ishigaki_027Ishigaki_028何とか底地ビーチに到着。白い砂浜と青い海。まさしく八重山の海です。やっぱりきれい。海のそばの林の木が茶色くなっているのは紅葉しているからでは無く、台風 13 号によって吹き付けられた海水のせいで立ち枯れしているから。いつもならこの時期も青々としているそうです。


来た道を引き返し、今度は川平湾へ。川平湾は養殖の黒真珠で有名な場所。小さな島が浮かぶ静かな入り江です。山の緑と海の深い青、白い砂浜のコントラストが印象的なだけでなく、海に浮かぶ小さな島や岩場が何とも言えない風景のアクセントになっています。ガイド・ブックを見れば必ず出ている写真で見慣れた風景なのに、実際に見てみるとまた格別。これも言葉で表現するのは困難です。Ishigaki_029Ishigaki_030Ishigaki_031Ishigaki_032Ishigaki_033

美しい景色も空腹には勝てず、時計を見るとすでに 15:00。昼ご飯にしては遅すぎますが、川平公園脇にある川平ガーデンでグルクンそばを食べました。グルクンっていうのは沖縄県の県魚にも指定されている白身魚。これの天ぷらが載っている八重山そばです。八重山そばは島とうがらしをかけて食べるとおいしい。Ishigaki_034Ishigaki_035Ishigaki_036食後は売店にてシークワァーサー・ジュースを飲んでしばし休憩。炎天下の疲労時はやっぱりビタミン C でしょう。この酸味がすごく効く感じ。感じだけだけど。だらだらしていても仕方がないので自販機でお茶を補充して出発。

次の目的地は川平湾の向かい側の於茂登岳を越えたところにある底原ダム。別にダムが見たかったわけでは無いのですが、距離とルート上そこに寄るのが手頃だと思われたから。川平湾を迂回して山の中腹のトンネルを抜けていくことになります。まだまだ先は長い。このペースで帰れるのだろうか。

少しペースを上げて沿岸沿いの国道 79 号線をひたすら走り続けます。相変わらず up and down は続くけど御神崎へのコースよりはかなりマシ。見通しが良く、道も良いのでペースを上げられるのも良かった。左手に海、右手に山を見ながら 10km 程走ると米原にさしかかります。ここで天然記念物の八重山椰子の群落の案内が目に入りました。高さ 10m にもなる八重山椰子が群落で自生している場所は珍しいらしい。先を急ぎたいところですが、これも見ておかないとあとで後悔しそうだったのでとりあえず行ってみることに。600m ほど山の方へ登ったところにそれはありました。

Ishigaki_038Ishigaki_037ここも台風の被害を受けていて何本かの椰子は倒れていましたが、確かにそびえ立つ椰子の木が群生しています。ただ、地上では目の前に見えるのは椰子の木の幹ばかりで、上を見ないとそれが椰子だとわからないこと。それから貴重なのはわかるのですが、当然ながらぱっと見ただの椰子の木なので、それほど「へぇ~」な印象がありません。でも、この状態が貴重な状態だということがわかっただけでも収穫かも知れません。家族連れの観光客が椰子の木の上に八重山コウモリが留まっているのを教えてくれました。結構大きなコウモリです。真っ昼間に実物を見るのは初めてです。

椰子林を後にして再びダムを目指します。すぐ先に山へ向かう道との分岐点があり、そこから於茂登岳を目指します。相当な登りを覚悟したのですが、思ったほど登らず於茂登トンネルが見えてきました。これをくぐれば於茂登岳の向こうへ抜けられます。が、このトンネル予想外に距離があり、しかも暗くてその上路面が水で濡れています。それに多少登りになっていて、暗くて見えにくく、スリップしやすく走るのが恐い。後ろから追突されるかもしれないし。でも、こんな時のためにテール・ランプはもちろん装備しています。Ishigaki_039Ishigaki_040
Ishigaki_041Ishigaki_042トンネルを抜けてもしばらくダラダラ登り。でも景色は一変してまるで登山気分。林道を走っているような気分です。しばらくしてちょっと下り始めたなと思ったらダムの案内板が目に入り、左手に折れるとそこにはダム湖が広がっていました。ダムなんて別に石垣島で見なくても良いのでしょうが、これがなかなか侮れない景色。ダムの堤防まで行くと左手にダム湖、右手には麓に広がる一面の草原と農村風景が広がって、奥の方には石垣島の東の海も見えます。堤防の入り口にシーサーが置かれているあたり、やっぱり沖縄。

この堤防ではどうやら地域の学校のマラソン大会か何かが行われるらしく、先生方と思わしき人達が堤防上に 100m 毎に線を引いていました。そういえばダムの脇には学校の名前の入ったテントが置かれていました。

ここでしばらく写真を撮ったりしていると既に時刻は 17:00。川平湾を出てから 1.5 時間程で寄り道をしつつ、登り下りしながら 15km くらい走っています。走行時は結構なスピードで走ってきたことになります。本当は石垣島の東側で有名な白保の海岸を回ろうと思っていたのですが、相当飛ばさないと日没までに戻るのは厳しい状態。石垣島は離島と違い道路は整備されていますから、街灯が無くて夜は走れないなんてことは無いですが、やはり慣れない場所なので無理はしたくありません。今回は諦めて素直に南下して宮良湾から市街へ戻ることにしました。それでも残りの距離は 15km 以上はあります。ですがここはダム。ここから宮良湾まではなだらかに下るのみです。かなりペースは上がると思われます。

ダムを造るために整備されたのでしょうか、かなり幅広くきれいに舗装された道が延々と続きます。車も少なく下り坂。しかも 180 度開けた視界。今までの苦労が一気に報われたかのような気持ちよさで走れました。10km 程を約 30 分で一気に駆け抜け、大浜海岸に到着。この辺まで来ると街の雰囲気が出てきます。ここは砂浜の海岸ですが、いままでとびきりの景色を見てしまっているのであまり印象には残りませんでした。ゴミもそれなりに散乱している都会の海という感じです。

Ishigaki_043Ishigaki_044残りは 5km 程。日没までにはまだ時間があります。ひたすら街中に向かって走り、空港が近づいてきたあたりで真栄里の海岸にも立ち寄りました。ここは岩場の海岸。先程の大浜海岸とほとんど離れていないのにかなり雰囲気は違います。角度もこちらは南向き。空港のそばだけあって、頭上を飛行機が飛んでいきます。


Ishigaki_045Ishigaki_046いよいよ日も傾いてきたので宿を目指します。残り数 km ですが、翌日那覇へ向かうので空港までの道の下見を兼ねて石垣空港へ。そして石垣空港から宿を目指します。地図上でもそんなに離れているわけでは無かったのですが、実際に走ってみると思ったより近い。これなら 15 分程度で空港のターミナルまでたどり着くことができそうです。途中、島中大騒ぎの八重山商業高校前を通りました。それにしてもやっぱり石垣市内は都会です。このところ急速に内地 (沖縄の人から見るところの北海道から九州あたりの地域) の資本が入って来ているというだけはあります。「UNIQLO」は無いけれど「しまむら」はありますし。

ということで無事日没前に宿であるヤーンブジーナへ戻ってくることができました。戻って荷物を置いたところで外へ出てみると、西やんがカメラを持って出てきて、向かい側の宮良殿内の敷地を見ています。よく見ると先程見た八重山コウモリが「つがい」で騒いでいます。「こんなところで八重山コウモリの交尾を見るなんて初めてだ」と西やんがいっていました。珍しい場面に遭遇したようです。

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石垣島上陸

Ishigaki_001石垣港に上陸したのは 16:00 前、まだ日没までは時間があります。地図上では今日の宿は結構近くにあるはずなので、荷物を抱えて自転車で移動することにしました。桟橋前にはテントとベンチがあるのでそこで Air Glide を組み立て、荷物を担いで移動です。

しかしまぁ、石垣の街は都会です。fujaata の実家のある某東京よりよっぽど都会。建物の高さこそさほど高くはありませんが、道路も信号も店も離島とは全く違う見慣れた普通の風景です。

多少迷ったものの、宿泊先のヤンブジーナに到着。重要文化財である宮良殿内の目の前なんですが、この宮良殿内が多少わかりにくい場所にあるのが迷った原因。ガイドブックに詳しい地図があったのに、それを見なかったのが失敗でした。

宿に入ると管理人の桂子さんが出迎えてくれ、一通り宿の使い方の説明を受けた後はしばらくたわいもない話をして過ごしていると、同じく管理人の西やん登場。西やん、黙っていたら宿泊客と言われてもわかりません。fujaata より一回り以上は年上と思われるのに、全くそんな雰囲気を感じさせません。そんな西やんに「年齢不詳」と言われた fujaata って一体...。

ヤーンブジーナは民家を改装した格安の民宿で、基本的に相部屋。というか、寝床は工事現場用の足場(イントレ)に板を渡した 3 段ベッドだったりします。こう書くとなんかとんでも無い場所のように思われますがそんなことは無く、部屋はきちんと手入れが行き届いており快適に過ごすことができます。どっかの会社の独身寮と大差ない感じ。もっともお坊ちゃんお嬢ちゃんやハイ・クラスなホテルにしか泊まったことが無い方にはお薦めできませんが。

そうそう、八重山を含め沖縄の民家は古くて簡素な造りのものが多いように思います。本州の大都市圏では今でこそ鉄筋や○○ハウスといった新建材の住宅が建ち並んでいますが、25 年くらい前の東京はこんな感じだったように思います。

相変わらず無計画に行動しているので、アテも無く宿の回りをぶらついていると西やんに「チャリで来ているなら 7km くらい先に観音崎っていう夕日を観るのに最高の場所があるよ」と教えてもらい、行ってみることに。時刻はこの時点で既に 17:40。日没までは 20 分程度しかありません。

Ishigaki_002Ishigaki_003初めての道でしたが迷うようなポイントは無かったし、しかも道はちゃんとした舗装道路ですから 15 分もブッ飛ばすと難なく観音崎に到着。なるほど、これはこれで素晴らしい。これまで無かった岩場の岬で、しかも海岸まで行くことができます。ここでしばし写真撮影。

しかし、竹富島と至近距離にあるのに、島の雰囲気はまるで違います。何というか fujaata が知っている本州や九州の都市部の沿岸地域の雰囲気。道路を走っていても普通にバスやタクシーがビュンビュン走っているし、マンションはもちろんいわゆる中層の団地もあるし、都市にありがちな人工の公園もあるし、MaxValu もある (しかも 3 店舗) し、フツーの商店街もあるし、学校もいくつかあるし、ヘタすると浜松の住宅地よりよっぽど都会。戻ってから「大都会ですねぇ」と西やんに言うとそれはこの辺だけの話だそう。離島なんか行かなくても離島のような場所は石垣島にもあるし、海も山も存分に楽しめるとのこと。このあたりは翌日自分で見て回って実感するしかありません。

Ishigaki_004晩ご飯は西やんに教えてもらった「あさひ食堂」へ。いわゆる大衆食堂で地元の人も通っているとのこと。観光客相手の飲み屋もいいけれど、地元の人が普通に食べる食事に興味があったので丁度よかった。店は結構大きくて、それでもかなり席が埋まっていました。何を注文するか迷ったので、とりあえず店の名前が付いた「あさひ定食」を注文。ってこれ、たったの 550 円ですよ。味もまずまず、というか十分。確実に満腹。

夕食後 MaxValu に酒とつまみを買い出しに行き、宿で他の宿泊者と飲むことに。こういうときチャリは便利。ちなみにヤーンブジーナにも借りられる自転車は常備されています。

この日の宿泊者は、大阪から来た看護師の姉さん、空間系インスタレーション・アートを仕事にしている姉さん、関東地方の地方公共団体職員の兄さん、Dr. コトー診療所大好きで翌日与那国へ向かうという兄さん(ちなみに Dr. コトー診療所 2006 はこの日から放送開始した)、それと長期滞在でこの先の人生を考えている姉さんと、ここを当面の住居にして夜の仕事をしている姉さん 2 人と兄さん 1 人。長期滞在者を除き、fujaata 以外は翌日みんな離島へ行くという。fujaata のようにまずは離島からスタートというのは珍しいのだろう。それにしても、話には聞いていたものの長期滞在する人がこんなに多いとは。確かに八重山のこの雰囲気は、とても居心地が良い。ここに住みたいと思う気持ちはわからなくも無い。少なくともここ石垣の市街なら生活に困るような事は全くありません。

ヤーンブジーナは消灯時間が決まっている(門限は無い)ので、さっさと布団に入って寝る。イントレのベッドは、ちゃんと布団が敷いてあるので寝心地は悪くない。というか、こんな 3 段のベッドで寝るなんて経験はほとんど無いので、ちょっとワクワク感があって良かった。

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